ギリシャの旅:2/2
  アテネ、デルフィ、メテオラ、
  エーゲ海ミニクルーズ
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行程  2014年2月22日~28日
      2/22 徳島市=羽田=成田(新勝寺参拝)=アブダビ
      2/23 アブダビ=アテネ
      2/24 アテネ=デルフィ(古代遺跡、オシオスルカス修道院、アラホバ)=カランバカ
     2/25 メテオラ修道院=アテネ
     2/26 エーゲ海1日クルーズ
     2/27 アテネ=アブダビ
     2/28 アブダビ=成田・・・・・ 
    

コースと概要  写真拡大はまだできません・・・取りあえずMIXIの簡易記事を流用です(^_^)

GPS記録
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以前から一度は行きたいと思っていたギリシャです。昨年は観光客も少なく快適で格安となるこの時期のツアを三つも申込みするも、いずれも不催行。 今年も最初に申し込んだツアは催行中止となったが、やっと成田集合のHISツアで行く事ができました。
参加人数も18名と少なめ。スケジュールは短めだが、アテネのデルフィそして北部のカランバカで世界遺産の奇岩に建つメテオラ修道院の見学、サロニコス湾の短い一日クルーズで3つの島訪問など、まずまずの内容です。

 2/22 徳島市=羽田=成田(新勝寺参拝)=アブダビ
 2/23 アブダビ=アテネ
 2/24 アテネ=デルフィ(古代遺跡、オシオスルカス修道院、アラホバ)へ
2/25 カランバカでメテオラ修道院
中空の都市アラホバからメテオラの町カランバカへ移動して一泊。 奇岩群の上に建立された世界遺産メテオラ修道院の見学です。
このメテオラという名称は、ギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」(μετ?ωρο?)という言葉に由来しているらしい。
これらの奇岩群が誕生した理由は不明。紀元前後に書かれた紀行文には記述がないため。この風景になったのはもっと後ではないかといわれているみたい。大昔は湖だったという話もあり、水の浸食か風食でできあがったというのが代表的な説らしい。
カランバカのホテルの裏側には奇岩群が見られますが、修道院はここから離れた山の上と移動します。観光地として開発が進んだのか、快適な舗装道路を走行。
ここはキリスト教の修道士にとっては瞑想に理想の環境と見なされて、
9世紀頃から奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に単独で住み着きはじめ、その後に14世紀になってセルビア人の侵攻に対応して集団生活をはじめて修道院を造ったらしい。
最盛期は24個の修道院があったが、いまは観光地化が進んだ事もあって、より閉鎖的なアトス山に移住する修道士が増加するなど、修道士の数は減少し修道院も6つに。
この日は、途中の展望台から霧の中に浮かぶ修道院を眺めてから、まずはヴァルラーム修道院を訪問。
当初は切り立った岩をロッククライミングだったでしょうが、その後はロープを垂らした巻き上げ機で荷揚げ、移動には手動のケーブル籠を使った(いまも使用している)。
195段の階段を登って修道院内部へ。 この修道院は、イオアニアの裕福な一族出身の兄弟修道士、「テオファニスとネクタリオス」によって建てられたそうです。
修道士の日課は瞑想と労働。ワイン造りも。

続いては、女性修道院のアギオス・ステファノス修道院に移動。
創建は1367年で、現在は女子修道院(尼僧院)となっている。
こちらの修道院は32人の女性修道士がいるらしい。
前のヴァルラーム修道院はなんと6人しかいないそうだ。
主聖堂には聖ハラランボスの聖遺物が安置されているらしい。
修道院に入場する際に、女性はスカートを巻き付ける必要があります。入り口に用意されている布をズボンの上から巻きスカートのように装着します。
===余談:ギリシャ正教って?===
ネットで調べると、ローマ・カトリックと正教会は大きく細部に至るまで異なっているとのことですが、もうひとつ理解できません。
正教会は、主にギリシャ・東ローマ帝国を中心に伝統を継承したために「ギリシャ正教」の通称が使われるが、国ごとに「国名+正教会」の名で呼ぶのが基本らしい。ロシア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会、日本正教会など。ただし、各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではないそうです。

ローマ・カトリックとの一番大きな差は、ローマ法王を無謬の最高権威としては認めず、神ハリストス(キリスト)以外に世界の最高権威は存在しないとしているところらしい。
そして、ローマ・カトリックは新しい教理・解釈を加えていったが、正教は初期キリスト教の教理を踏襲しているらしい。 細かいところでは偶像崇拝の否定から正教では平面的なイコン像を神への入り口・繋ぎとして拝む。一方、カトリックの方では聖人などの絵・像は立体的。
流れだけ見ると、なんとなくギリシャ正教は仏教でいうと上座部仏教のようで、カトリックは抽象議論を積み重ねた大乗仏教のような印象も受けます。
どうも、原罪(カトリックのような原罪という概念はないみたい)とか三位一体の考え方とかも異なるようですし、身近なところでは正教ではカトリックと違って妻帯者を司祭に任命することができるとか。
細かいところでは、見学した正教会では奉神礼のあいだ基本は立ったままでいるらしい。 また歌は歌うが楽器の演奏はないそうだ。
  2/25 カランバカからアテネへ
メテオラ修道院を見学したカランバカからアテネに戻って夕食の後にホテルへ。
路地をうまく使ったオシャレな雰囲気のレストランです。 ギリシャの食堂には、「TABEPNA」もしくは「TAVERNA」の看板が出ています
ギリシャ語では、ταβ?ρνα、大文字だと ΤΑΒΕΡΝΑ らしいですが、後者はどうもラテン語でイタリヤのtaverna からきているみたい。
2/26 エーゲ海1日クルーズ
さて、翌日は、エーゲ海(といってもサロニコス湾~イドラ湾の狭い範囲)のミニクルーズで、イドラ島、ポロス島、エギナ島を巡ってアテネに戻る一日クルーズです。
想像していたより大きな遊覧船です。この日の乗船客は少なくてゆったり。客室テーブル席も自由に動くことができましたが、別の日には満員御礼状態だったらしい。ギリシャに住んでうん十年という個性的、かつ日本人離れした女性がガイドをして下さいました。
イドラ島
まずは、イドラ島です。
エーゲ海東南部のペロポネソス半島東岸の島。自動車が乗り入れ禁止となっており、観光客は徒歩かロバに乗るかして島を回ります。
ギリシャでは正教信者が98%と圧倒的。正教教会も至る所にありました。
ここイドラ島でも歩いた範囲でなんと3つも教会がありました。
ツア仲間でロバを利用した人もいたようですが、私たちは狭い石畳、石段の路地を上り下りしました。
雰囲気ある坂の町です。路地の両側にはアパート、マンション、そして大きな邸宅も連なっています。
イドラは18~19世紀に通商の拠点として繁栄したそうで、当時の富豪達が建てた豪邸がたくさん残っています。
1821年の独立戦争時には、自分たちの持ち船を武装して活躍。ギリシャの英雄的な島として人気があるらしい。
時間がなくて見学できなかったが、この歴史博物館らしい施設もその独立戦争のときの記念品を展示しているのかも。
歴史博物館の先の岬には、おそらく軍人として活躍したであろう人の像とか大砲などが置かれていました。
ポロス島
続いては、船に戻ってポロス島へ。移動中に昼食です。ポロス島は、狭い水路で隔てられたカラブリア島と橋で繋がったたいへん小さなスフェリア島の二つの島から構成されています。
紀元前6世紀のポセイドン神殿やビザンチン様式の宗教画が見られるゾードホスピギ修道院があるらしいですが、ここでは丘の上の時計台を訪問しただけです。
なぜか大きなサボテンが・・・ウチワサボテンらしい。
エギナ島
古代ギリシアではアテナに対抗する都市国家のひとつであったとか。
紀元前6世紀から紀元前5世紀にかけて海上交易の中心地として栄え、アテナイと競い合ったが、紀元前5世紀前半にはアテナイに敗れています。 こうした歴史からか1800年代の独立戦争の最中にはギリシャの首都だったこともあるそうです。
私たちは、オプション料金を払ってアフェア神殿を見に行きました。
紀元前6世紀から5世紀にかけて建てられたアルカイック期の代表的な神殿で、ギリシャにある神殿の中でも最も保存状態の良い神殿のひとつだそうです。女神アフェアが祭られていたそうです。
この白い花はアスフォデルス・アルプスというようです?
移動途中で見かけたカラフルな箱。本土にもありました。おそらくミツバチの巣箱では?
聖ネクタリオス修道院も見学。予算不足で建造・修復が途中で止まっているようです。
1846年生まれでギリシャ正教の最後の聖者らしい。エギナ島にピスタチオを中近東から持ち込んだのは彼だったらしい。
永眠後は銀製の箱に右手の遺骨が納められています。この箱に触れると生涯、健康が保たれるとか。棺に触れて聖ネクタリオスの鼓動が聞こえるとご利益があるとの話もあるようです。 確かに耳を当ててみると、なにか聞こえたような・・・(^_^)。
この島の特産はピスタチオです。一応買ってきましたが、日本で普通に購入するピスタチオに比べて実が小さい感じ。ピスタチオアイスも有名だとかで、食べてみましたが・・・うーん、もうひとつかな。
シーフードのタベルナも沢山あり、焼きタコも売ってましたが、食べる時間なしです。
ピスタチオの実、いまの季節は見られないので、お店に写真を貼ってありました。
アテネへ戻り
アテネまでの帰りの船内では、ギリシャの民族舞踊も披露されます。どこの観光地でもありますが、お客も巻き込んで踊りを楽しみます。
腰痛を抱えた私は遠慮して上の船室に逃げ出しソファーで横になってました。
アテネに戻ったところで、きれいな雰囲気の良いタベルナでシーフードの夕食をとってからホテルへ。
○2/27 アテネ=アブダビ      2/28 アブダビ=成田・・・・・    
翌日は午前中が自由行動。ホテルの近くにある国立考古学博物館に行ってみました。
先史時代から後期ローマ時代のギリシャ各地の出土品を集めた博物館だそうです。
ギリシャ彫刻・美術の神髄に触れることができるとの事だが、博物館のオープンが9時、空港への出発が10時30分と時間も限られ、事前の調べも不十分だったのが残念です。
ひたすらミケーネ文明時代の黄金をふんだんに使った出土品と更にその前のキクラデス文明のどこかで見たような土偶らしき出土品、ヘレニズム時代の大きな神像などに感心して帰ってきました。
入り口で校外実習らしい小学生の賑やかな団体に出会いました。元気な子供達の様子を見ていたら、前にも触れましたが、ギリシャの経済破綻- 失業率が30%近く(若者は65%)で、 飢餓に苦しむ子供達という情報はほんと?なのと思ってしまいます。
浮浪者も目にする事なく、ましてやアジア各地で経験する物乞いとか土産物の押しつけ販売もありません。
たまたま博物館の近くで目にしたパン販売のおじいさん。疲れているようだが 、ゆったりとした体格です。 背中側の壁に落書きがあります。こうした落書きはあちらこちらで見かけました。
ただ、こうした落書きは経済破綻の前からあったそうだ。ヨーロッパあちこちで、こうした落書きがまかり通っているとの事だから、経済破綻での影響ではなさそう。
もうひとつ、今回のギリシャでちょっとしたカルチャーショック。
物理学・数学で使っていたψ、φ、Σなどが生きた言語として町の看板に書かれています。当たり前なんでしょうが、理系派としてはちょっとしたショックでした。

帰国
さて、忙しく動いたギリシャの旅でしたが、現地時間2/27の昼に空港を出発。アブダビ経由で2/28のお昼に成田へ帰国です。
アブダビまでは昼間のフライトなのでしたの風景がよく見えました。ロドス島の真上を過ぎてガザ。
サウジアラビアに入ると下はほとんど何もない砂漠。所々に人工物がたまに点在するだけ。以前に上空から見たチベット高原より更に索漠とした印象です。
夜になって上空を飛んだバーレンの夜景はいかにも人工的ですが、きれいでした。

東西ローマ帝国、ギリシャ正教って? 嵌まってしまって調べ中です(^^;)