ギリシャの旅:アテネ、デルフィ、メテオラ
         エーゲ海ミニクルーズ(1/2)
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行程  2014年2月22日~28日
     2/22 徳島市=羽田=成田(新勝寺参拝)=アブダビ
     2/23 アブダビ=アテネ
     2/24 アテネ=デルフィ(古代遺跡、オシオスルカス修道院、アラホバ)=カランバカ

      2/25 メテオラ修道院=アテネ
      2/26 エーゲ海1日クルーズ
      2/27 アテネ=アブダビ
      2/28 アブダビ=成田・・・・・     

コースと概要  写真拡大はまだできません・・・取りあえずMIXIの簡易記事を流用です(^_^)

GPS記録
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以前から一度は行きたいと思っていたギリシャです。昨年は観光客も少なく快適で格安となるこの時期のツアを三つも申込みするも、いずれも不催行。 今年も最初に申し込んだツアは催行中止となったが、やっと成田集合のHISツアで行く事ができました。
参加人数も18名と少なめ。スケジュールは短めだが、アテネのデルフィそして北部のカランバカで世界遺産の奇岩に建つメテオラ修道院の見学、サロニコス湾の短い一日クルーズで3つの島訪問など、まずまずの内容です。

2/22 徳島=成田=アブダビ
===成田にて搭乗待ちの間に新勝寺へ===
羽田経由で成田空港まで移動。
成田での集合まで時間がたっぷりとあり、折角なので荷物を空港に預けて成田山新勝寺に参拝をしました。明治神宮についで初詣客の多い新勝寺ですが、約40年間の横浜在住時には遠いこともあってお参りした事がありません。
空港地階から京成鉄道で成田駅まで乗車、成田観光会館で祇園祭の山車を見たり、
フォト
フォト フォト 俳人「三橋鷹女」像に挨拶したりと約1時間かけて、車が次々と通る歩きにくい門前町を新勝寺まで移動。
途中の門前町には江戸情緒の宿、何故かウナギ屋などがあります。
新勝寺では護摩法要に居合わせ、暫く見学させてもらってから成田山公園へ移動。
フォト フォト
フォト フォト 東日本大地震で沢山ある石塔に影響があったようで至るところで危険、通行止め。このため、腰痛を抱えながら予定以上に歩いてへトへトです。
===アブダビへ===
やっと、空港に戻って今回のエティハド航空の飛行機に搭乗したのは21時過ぎです。
エティハド航空は、アラブ首長国連邦アブダビ首長国アブダビに本拠を置く国営航空会社だそうです。
昨年、シャモニーへ行くときに使ったのはエミレーツ航空、こちらもアラブ首長国連邦ドバイ首長国ドバイに本拠を置くフラッグ・キャリアではあるが、こちらは民営かな?。
どちらもヨーロッパなどへ行く格安ツアで利用されているが、前者はアブダビ、後者はドバイでトランジットになります。直通便に比べて、飛行時間もトランジットでの待ち時間も長い(^^;)。
アブダビ空港はドバイ空港よりも設備が古く整っていない印象。空港内の乗降もバス移動だったし。飛行機の席は横も前後も狭い感じ。
アブダビでトランジットのゲート表示が遅く、表示されたときにはゲートの遙か手前の動く歩道から大渋滞。なんの案内もなく、渋滞原因が不明で動く歩道の手すりを乗り越えて移動する人もいます。だいたいゲート案内の表示が遅すぎる(-_-)。
ここでばらばらになった連れ合いとはゲートで、暫く後に合流。 次のフライトまで4時間のトランジットだったが、更に2時間遅れ。痛む腰をのばそうとデッキチェアもどきに横になって待機。 この時間遅れのために、この日のアテネ観光が大忙しの駆け足となってしまった。
2/23 アブダビ=アテネ、アクロポリス・パルテノン神殿

アテネ観光
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約2時間遅れで到着したアテネ空港、15時頃にチャーターバスに乗車し観光に出発です。
シーズンオフでもあるし、もともとサービス提供時間が短いギリシャの観光地と店。
クローズされる前にと大忙しの駆け足です。まずは新アクロポリス博物館とアクロポリスの丘へと移動。
途中の車窓から見えた「Glass Runner」。 12メートルの背の高いガラスと鉄の彫刻。オモニア広場に立っていたが、工事地下鉄工事に伴って移動したらしい。
そしてぎりぎり背が届くかなの小便器の洗礼を受けます。飛び散りの汚れに対して合理的だが、胴長短足にはちとつらい(^^;)。
さて、この後も旅行中を通して感じたが、ギリシャはほんとに経済破綻したの?の疑問、
 失業率が30%近く(若者は65%)で、 飢餓に苦しむ子供達という情報はほんと? と思うほど、目にするノンビリモードの街風景とのギャップの大きさに驚きです。
街はまあまあきれいだし、ゴミも少ない。浮浪者も全く目につかない、ストリートチルドレンどころか元気いっぱいの子供達が博物館に校外教育で来ている、アジア各地で経験する物乞いとか土産物の押しつけ販売もなし。
ストリートチルドレンどころか元気いっぱいの子供達が博物館に校外教育で来ている、アジア各地で経験する物乞いとか土産物の押しつけ販売もなし。
至る所にペンキスプレーの落書きが目に付くが、これはもう10年以上も前からの事で、ヨーロッパ至る所で見られる現象だとの事です。

===そして新アクロポリス博物館、アクロポリスの丘、パルテノン神殿===

ギリシャ観光の初日。メインはアテネのアクロポリスの丘です。 まずは、アテネ空港から新アクロポリス博物館へと直行。 15:40に到着して博物館に入場です。
入り口までの通路は下がガラス張りになっていて、遺跡跡を足下に見られるようになっています。
主な発掘物はイギリス、ドイツなどヨーロッパ先進国に持って行かれ、展示物はなんとく貧弱。レプリカも多いようだ。
なにせ「アクロポリスの丘」の17時のクローズ時間が迫るなかの駆け足見物で、なにがなんだかの状態で把握できずでした。
物館から望むアクロポリスそして隣のリカヴィトスの丘です。
下の図は、アクロポリスの丘の見取り図とアレオパゴスとアクロポリスの再現図。
1.パルテノン神殿、2.アテナ神殿、3.エクレテイオン  4.アテナ・プロマコスの像、 5.プロピュライア  6.アテーナ・ニーケー神殿、 7.エレウシニオン  8.アルテミス・ブラウロニアの聖域  9.カルコテケ、  10.パンドロセイオン   11.アルテフォリの館、 12.アテナの祭壇 13.ゼウス・ポリエウスの聖域、       
14.パンディオーンの聖域15.ヘロディス・アッティコス音楽堂、16.エウメネスの柱廊 17.アスクーピオスの祭壇、18.ディオニューソス劇場 19.ペリクレスのオデオン、20.ディオニューソス劇場


再現図
アレオパゴスの丘(「アレス神の丘」)。時間なくて遠くから眺めただけ。 この丘がアレオパゴス会議(古代アテナイの政治機構、アレオパゴス評議会)の開かれた場所らしい。 アテナイ政治の貴族勢力の牙城であり、古代ローマにおける元老院 のような役割を果たしたとか。
 評議員の地位は終身で貴族によって独占されていたため、 民主政への大きな妨げとなっていたが、 紀元前462年にエフィアルテスやペリクレスが結託して政変を起こし、アレオパゴス会議の多くの権限を剥奪。 これにより政治上の多くの権限は民会に委ねられるようになり、 民主政が確立されていった・・・らしい。
丘に登る中腹にゲート、ここで入場券を購入します。
ゲートを通過し、イロド・アティコス音楽堂の横を通り、更に石の階段を登っていくとプロピライア(前門)です。階段が見えているところが中央楼でトリア式の石柱が立ち並ぶ。左に北翼、右に南翼がある。
北翼は神殿参拝者の奉納品や絵画などの財宝の保管に使用されていたそうだ。そのため絵画館(ピナコテク)とも呼ばれるらしい。
そして、パルテノン神殿。 アテナを守護するアテナ女神の神殿。ポセイドンとその立場を争ったが、アテネの市民は、馬を贈ったポセイドンではなく、 平和の象徴オリーブの木を贈ったアテナを守護神に選び、 パルテノン神殿を建築したという事になってます。
現存するパルテノン神殿は、ペルシャ戦争の勝利を祝って、紀元前432年に15年かけて建てられたもの。 幅31m、奥行き70m、正面、背面にそれぞれ8本、側面17本のドーリア式の石柱が周囲を囲み、内部には高さ12mの巨大な青銅製のアテナ女神像が東を向いて祭られていた。
ビザンティン時代には、聖母マリアの教会にされた。アテネ公国のもと、アクロポリスはパルテノン神殿、公爵の宮殿の一部のプロピュライアとともに行政的な中心としての機能を果たしたそうだ。
そして、オスマン帝国による統治後はトルコ軍の守備隊の司令部として使われたらしい。
すぐ近くにはエレクテイオン。
6人の少女像の柱が並ぶが、当時の物ではなくて模造品だそうだ。
ここは、オスマン帝国時代は総督の個人的なハレムへと変えられたらしい(^^;)
アクロポリスの建築物は、1687年のヴェネツィアによる包囲による損傷で傷ついた。火薬の貯蔵庫となっていたパルテノン神殿は、大砲による 攻撃によって燃え、激しいダメージを負ったらしい。
ディオニューソス劇場を遠望、輝く湾と日矢指す風景はゼウスの降臨みたい(^_^)。
17時には出るようにという合図で大急ぎで退場。 同じコースを下山し、再びイロド・アティコス音楽堂。
アッティカの大富豪イロド・アティコスがアテネ市に寄贈した音楽堂で、161年に建設。 現在も演劇、コンサート、オペラ、ギリシャ古典劇などが上演されているらしい。
再び街に戻り。パナティナイコ・スタジアムへ。
1896年に第一回近代オリンピックが行われた場所らしい。
この1896年頃は、ギリシャがクレタに派兵し、オスマン帝国に大敗北しています。
結果、ギリシャ王国の財政は破産状態に陥り、国民も経済的な困難に直面したとか。
なんだか、経済状態はいまと同じかしら。
そしてアカデミー、アテネ大学 、国会議事堂と民族衣装の衛兵などを、車窓に見ながら本日のホテルへと移動です。
それにしてもギリシャは長期にわたって様々な支配を受けてきて、今の国家体制になったのはつい最近なんですねえ。
   紀元前800年~340年頃 アテネ、スパルタなどのポリス国家時代
   ~紀元前30年頃    アレクサンドロス大王マケドニアによる支配、ヘレニズム
   ~紀元1500年頃    ローマの属州そしてビザンティン帝国による支配
   ~紀元1821年頃    オスマン帝国による支配
   1830年        独立戦争、王国など
   1973年        共和国成立
国名は、日本語でギリシャ共和国、英語ではHellenic Republic(通称Greece)。
本来のギリシャ語では Ελληνική Δημοκρατία(エリニキ・ジモクラティア)。
2/24 デルフィ遺跡、オシオスルカス修道院、アラホバそしてカランバカ
テネを出てデルフィ遺跡、オシオスルカス修道院、アラホバそしてカランバカへ。
アテネの街のショーウインドーで見かけた女神像。 天秤(リブラ)と剣を持った女神です。おそらく、正義をはかる天秤を持った女神アストライアーあるいは女神テミスでしょう。このリブラは、会社創立した直後に新製品の商標登録でミスした思い出があって、ついパチリと撮影(^^;)。
至るところで見られたオレンジのような街路樹。
実は、ネラジア(ビター・オレンジ)と呼ばれる種類で、一般に食べられているオレンジ「ポストカリ」とは別モノ。酸っぱく渋みがあり生では食べられないそう。

リブラ持つ女神


ネラジア
道路沿いのあちらこちらで見られた小さな十字架のついた教会風の祠。幾つかを合成した写真です。立派な造りのものから簡単な箱状のものまで様々、お地蔵さんあるいは道祖神に類似するのでしょうか。製造して販売している店もあるようです。
そして、オシオス・ルカス修道院に到着。デルフィ近郊のヘリコン山の麓にあるギリシャ正教の修道院で世界遺産です
聖堂はルカスによって10世紀に設立された中期ビザンティン建築の傑作だそうで、11世紀に作成されたモザイク画が残っています。
なお、オシオスルカスのオシオスは聖人に与えられる称号だそうです。東ローマ帝国の皇帝ロマノスによるレタ島の征服を予言したとか。
独立戦争時、要塞として使われたこともあり、庭園には、聖人像の横に大砲が置かれていた。
地下に埋葬された聖オシオス・ルカスの遺体は、2年後に掘り出したときまったく腐敗しておらず、奇跡の香油が出ると信じられて篤い信仰からミイラとして安置されています。

途中に立ち寄り散策した町、アラホバは、スキーリゾートの天空都市といわれてます、丘の斜面にある石造りのきれいな町です。 途中のアーモンドの花、オリーブの木とともに今回の旅行中に至る所で見ました。
そして、アラホバの町並み。道路下にある扉の中は倉庫のよう。一カ所には一昔前の電話交換機が設置されていて、バックツーザフーチャーの博士のような雰囲気の方が調整中。お声をかけると人懐っこく操作をして解説。残念ながら時間なくて交友できずです。

続いては、デルフィ(デルポイ)の神託で知られる古代遺跡へ移動。古くはピュートーと呼ばれていて、大地女神ガイアもしくはその代理の大蛇ピュートーンが支配していたが、新たに訪れた神アポロンが打ち負かして聖地の支配権と託宣所を自分のものとし、ここはアポロの神託(託宣所)となったらしい。
有名な神託では、オイディプス伝説(スフインクスの謎、父親殺し)、ヘロドトスの歴史に記されたペルシャ戦争でのアテナ敗北と勝利の神託がある。またソクラテスの「無知の知」でも有名らしい。
パルナッソス山のふもとにあるこの地は、古代ギリシアで世界のへそ(中心)と信じられ、へそを示す石があります(レプリカ)。 アポロン神殿を中心に各都市ポリスの宝庫に劇場とか古代スタジアムなどの遺跡があります。
遺跡の壁の石には沢山のメッセージが彫られていて、ツア仲間のギリシャ語の読める学生さんは多少わかったらしい。なんでも、奴隷の解放について書かれているとか。
遺跡の一番上は、ピューティア大祭で使用された競技場跡です。
ここ聖地に全ギリシアから市民が訪れ、アポロン神の大祭が8年に一度開催されたとか。最初は音楽競技だったが、後に古代オリンピック競技などと同じ体育競技を加え4年に一度の全ギリシア規模の競技祭(4つ)の一つとなったらしい。
各種競技の優勝者には、アポロンの聖樹であるダプネー(月桂樹)の葉で飾られた冠が贈られた。「月桂冠」の始まりかな。
   2/25:ギリシャの旅(2/25)カランバカでメテオラ修道院
   2/26:エーゲ海ミニクルーズ へと続きます