モンゴル 奥テレルジのハイキング
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全体行程  2008年6月25日~6月30日
   以下の写真、図はクリックで拡大します。

フライトの大凡の航路
四川省の成都から北西の奥、二郎山トンネルを抜けた康定での「大雪山脈のフラワーハイキング」を申し込んでいたツアが人数不足で中止。
同時期の別ツア会社の「モンゴル大草原 奥テレルジハイキング」を急遽検討。こちらも全部で5人と人数不足だが、添乗員なしであれば催行との事。日本語のできる現地ガイドはつけると聞いて、実は去年から考えたモンゴル初体験へと急遽変更しました(笑)。

全体の行程
グーグルアースと
GPS記録
6月25日出発、6月30日帰国と短期間でしたが、到着と出国の日のウランバートル泊を除き、間の3泊4日はウランバートルから約70Km離れた景勝地、草原と丘陵に奇岩の岩山が点在する国立公園でツーリストキャンプのゲルに宿泊。少人数の気儘さで自由にトレッキングを満喫できました。
モンゴル建国800年記念のひとつ「チンギスハン騎馬軍団を再現した歴史スペクタクルショー」は、残念ながら7月からに変更でキャンセルされてしまいました。
携帯電話とi-mode:ドコモの国際ローミングサービスWORLD WINGを契約。ウランバートル、テレルジでの通話はほぼOK。でもチベット、シェムリアップなどで問題なかったi-modeメールはたまに繋がる程度で実用にならず。。

○6月25日 成田~ウランバートル
成田から日本列島を横断するかたちで、朝鮮半島の南端を通り北京の近くを通過してウランバートルに入りました。写真はチンギスハーン空港に降りる前の高原とウランバートルの街です。

上空から高原

上空から
ウランバートル郊外

チンギスハーン空港

トロリーバス

フラワーホテル
空港で現地ガイドのジャギーさん、ドライバーのエギさんと合流、。郊外にある空港からかなり凸凹した舗装道を小一時間ほど走ってフラワーホテルに到着。日本と合弁のホテル、日本語が通じ、大浴場もあります。
交通手段はバスかトロリーバスに自家用車。自転車はまず見かけません。
途中の街角。綿毛のついた木があちらこちらにあり、風で雪のように空中を舞っています。
総選挙中で6月29日が投票日。日本とほぼ同じ大きな政党がふたつ。腐敗構造もよく似ているよう。若者が明確に意見を言って行動する所は違うかな(^_^;)。

バス停で民族衣装の男性

選挙運動中

綿毛の木

○6月26日 ウランバートル→テレルジのツーリストキャンプ
ウランバートルからテレルジのキャンプまで移動。2時間半ほど車で移動しながら草原の花を眺め、途中下車してから約6時間の草原トレッキングを楽しみました。
夜になって空は晴れ渡り、24時前後に満天の星空を観察。ツーリストキャンプの灯りで、かなり明るかたtのが残念。でも、天の川も薄く見えました。
○6月27日 亀石、寺院の観光、キャンプの裏山を自由トレッキング
早朝の5:30頃には日の出を観賞。朝食の後、車移動で観光場所になっている亀石そしてその近くにある寺院を観光。
キャンプに戻って昼食の後は自由行動。キャンプの裏の岩山にハイキング。途中で雷雨にも遭うが、上からの広々した展望を満喫。
○6月28日 自由トレッキング/乗馬 現地ゲル訪問とトレッキング 
午前中は乗馬体験と自由トレッキング組に分かれての行動。私達二人は乗馬を申し込んでいませんでした。午後からは地元のゲル訪問と花の草原トレッキングです。

全体コース

朝の自由トレッキング

ゲル訪問と
花の草原トレッキング
○6月29日 テレルジのツーリストキャンプ→ウランバートル、市内観光  
朝食前にツーリストキャンプの周囲を散策。昨日までの地リスに続いてタルバガン(マーモット)にも遭遇。そしてウランバートルへと移動です。
行きに泊まったフラワーホテルに荷物を置いて市内観光は「スフバートル広場、国営デパート、博物館(冬の宮殿)、ザイサン丘、カシミヤ店そしてホーミーなどの観劇と一般観光です。

ウランバートルへ

市内観光
○6月30日 ウランバートル→成田
 今回の旅はゲル連泊でゆったりトレッキングがメインでしたが、帰国の日だけは例によって早朝から準備。
5:30起床でパッキングですが、まあホテル出発は8時ですからゆっくりの方かな。
 予定通りに成田には16時頃に到着です。次に機会あれば、乗馬体験とゴビ砂漠の方面へと行ってみたいみたいものです。
-----余談 帰国後にモンゴルで騒動が発生-----
 帰国後に、ウランバートルで暴動、戒厳令とのニュースが流れました。モンゴル滞在中に総選挙が実施され、ウランバートルの街中に大きな候補者の顔看板が林立していました。政党の旗をつけた車も走り、旗を持って集団で歩いているグループもあちらこちらにいました。
 民主化された後、ふたつの政党が主導権を争っているようです。社会主義時代の権力者の尾を引いている人民革命党、そしてこれに対抗する民主党。既存の権力構造、官僚機構は日本も同じでですが、汚職とワイロで腐敗。日本と違うところは、こうした腐敗をなんととかして国力を高めたいという情熱を大勢の若者達が持っているようです。
 今回の騒動は拮抗する二つの政党の当選者数が拮抗、野党側の民主党が若干少なかった事への疑惑から起きたようです。
-----余談 モンゴル旅行時のリスク-----
 外務省の情報、地球の歩き方、あるいはネット情報で注意情報が目について、これまで行った中国奥地(四川省の奥、チベット地区)とかネパール、カンボジアなどより緊張気味に出かけました。
 A型B型肝炎やコレラなどの感染症とか狂犬病、ペスト感染の注意(予防接種の勧めなども)、ウランバートルではスリとか暴力、酔っぱらいにマンホールチルドレンへの注意など、色々と流れております。

 飲み水はもちろん口を漱ぐのもミネラルウォーターか煮沸した水道水を用いるというのは常識ですし、生野菜は避ける氷は負荷というのは、どこにいっても当たり前の事ですね。実際には、上記の辺境地域よりはきれいな印象でした。人口が少ない事と気候のせいもあるのでしょうが、青空トイレはもちろんですが、ホテルとかキャンプのトイレも上記の他地域あるいは日本の山よりきれかったかも。

 ウランバートルの店にはスリに注意の看板も出てましたし、確かにそれらしいグループに寄ってこられるという経験もしましたが、まあどこの都会でもあり得る程度のリスクかなと。
 ウランバートルにはほとんど滞在していないし、一部しか歩いていませんが、マンホールチルドレンは目にしなかったです。上記他地域のような物乞いも煩い土産売りも皆無です。
 自由化による経済的混乱でホームレスとなった孤児をマンホールチルドレンというらしいが、現地ガイドに訊くと、いまはいなくなったとの事。福祉の向上ではなく、中国から来た人達にさらわれてしまったとの事。労働力かと訊ねると、「ノー、生体移植だ」との返事。ほんとかどうか?
-----余談 モンゴルでの買い物-----
 旅行中の買い物はミネラルウォーターとビールがメインで土産物もほとんど買わないので、詳しいことは判りませんが、・・・・・
・通貨単位はトゥグリク(Tg)。1円は約10Tg。支払にはUSドルか、Tgが使えますが、USドルで支払うとお釣りはTgで返ってきます。
・チップの習慣はないそう。
・街頭での煩い売り子はいないし、ショップ内でもこちらが声をかけないと寄ってきません。

-----余談 モンゴルって-----
・人口は約200万(内モンゴル自治区には400万、ロシアのブリヤート共和国に20万)。世界で最も人口密度の低い国だそう。
・現在は牧畜をやめて都市や農村に居住する割合がかなり多いそう
・トーラ川沿岸の標高約1,300mの首都ウランバートルの人口は約100万人の極端な一極集中になっている。中国からロシア(欧州)に至る国際鉄道の主要な中継地でもある。主産業は鉱物、食肉加工、製粉、製乳。
・主な宗教はチベット仏教の流派(モンゴル仏教)と伝統的なシャーマニズムも存在
・7世紀ごろからモンゴル民族が形成され、13世紀にチンギス・ハーンが築いた大帝国は、元として一時中国を支配。17世紀には清に支配されたが、1911年に独立、ソ連の影響で共産主義国家。ソ連崩壊後、1990年代初めに民主化路線に方向転換
-----日本との関係-----
・90%以上のモンゴル族は、人種的には日本人と同じモンゴロイドで、いくつかの遺伝形質の傾向が一致し、モンゴル語と日本語が文法的に比較的似通っていることから、日本人のルーツに近いという説もあるそう。
・旧石器時代の氷河期に陸で繋がっていた間宮海峡や宗谷海峡を通ってモンゴル人の祖先が日本列島にも入ってきたという説も有力だそう。
・でも、モンゴル語の発音は日本人には難しい子音がいっぱい、何度も繰り返してもらっても聞き取れませんでした。なんとなくロシア語に似ているような印象です。
 文字はキリル文字がベースらしいが、昔のモンゴル文字(縦書きの流れるような文字も復権してきている)
・ハルハ河戦争(ノモンハン事件)
 第二次大戦中、1939年に現在の中国領であるノモンハン(モンゴル語ではハルヒンゴル)で日本軍・満州国軍とモンゴル人民軍・ソ連赤軍連合軍が軍事衝突
-----余談 歴史の考え方って??-----
 前から疑問に思っていました。国の歴史というのは、地域で区分・分類するのか、民族でいうのか、現在ある国との緊密度でいうのか。
 「中国4000年」といいますよね。学校教育で中国の歴史は 「・・春秋・戦国、秦、漢、魏晋南北朝、隋、唐、宋、元、明、清・・」と教わっています。その中国ってなにを指しているのか。中国大陸?、現在の中国とういう国との関係?あるいは漢民族という民族での区分け?、あるいは中国文明(狭くは漢字文化)という共通項があるのかな?。
 民族だと、最近ですと清の国は満州族の王朝だし、少し昔だと元はモンゴル民族の帝国の一部で、文明もだいぶ異なるのでは?。どうも区分けがはっきりしません。
 モンゴルに行った機会にモンゴルの人達はどう思っているのか訊ねてみました。一部の人の意見かも判りませんが、「元は中国ではなくモンゴルの国だ」との返事でした。だとすると、モンゴルの歴史の方に元が出てきて、中国の歴史は4000年ではなくて分断されたものになるのかな?