チベットの旅:青蔵鉄道と太陽の都ラサ・チェタン
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行程(その3)  2007年3月28日〜3月31日
 ・3/24    日本〜北京、国内線に乗り換えて西寧(シーニン)へ。ここで一泊。
 ・3/25    バス移動。シーニンで市内観光の後、日月山峠3510m、橡皮山峠3817m、中国最大
           の塩水湖である青海湖3200mを経てチャカで一泊。

 ・3/26   チャカから次の宿泊地ゴルムドに向かう途中でチャカ塩湖に寄って、塩を採取。
          ゴルムド2800mで一泊。
 ・3/27   ゴルムドでチベット鉄道に乗車。5072mの唐古拉峠を越え、約15時間で
          ラサに到着。

 ・3/28,29 ラサでは3連泊。ポタラ宮、チベット寺院、蔵病院などを観光。
 ・3/30    ラサからチェタンに移動。カンパラ峠4749mからヤムドゥク湖の湖畔でピクニック昼食。
           そしてチェタンへ。チベット最初の王宮ヨンブラカン、真珠タンカで有名な昌珠寺を観光。
 ・3/31    チェタンのサムエ寺を観光してゴンカル空港に移動、国内線で北京へ。

 ・4/1     北京で一泊して翌日に帰国。

コースと概要(3/28,29)  以下、クリックで地図、写真拡大します
 昨晩から三連泊でラサ観光です。標高は3650m、朝に見た腕時計高度計では3632m。動きをゆっくりとして、時々は深く呼吸しないと苦しい感じがします。連泊する拉薩飯店はこれまでで一番の高級感があり、従業員の方に英語も通じます。
 まずはポタラ宮、そして尼寺(アニ・ツァングン)、チベット仏教の中心ジョカン(大昭)寺、周囲のバルコルの観光。翌日は郊外のデブン寺、夏の離宮ノルブリンカ、セラ寺そして蔵病院を訪問。

ラサ観光 地図

ラサ ホテル
余談  チベットというとチベット仏教の本拠地、中国とのかっての紛争、インドに亡命しているノーベル平和賞のダライラマくらいの知識しかありません。「7Years in tibet」というダライラマの家庭教師を勤めた登山家ハインリヒ・ハラーの本もあり、映画化もされました。
 いまはチベット自治区としてまずは安定、観光も可能になっていますが、歴史とか文化など色んな面で中国の公式歴史観と現地で感じる実態に違和感がありました。日月峠の所でも書きましたが、文成公主の嫁入りのいきさつもそうです。また嫁入りのおりに、仏像やら仏画など様々な進んだ文化を持ち込んだという説明もありましたが、どうも寺院に道教の影響は感じられません。インドからの仏教とかヨーガストーラをベースに独自の仏教文化を造り出したのではないかなあ。
 小さな話ですが、チベットの仏画をタンカといいます。これも漢民族ガイドさんによると、唐(たん)の絵という事からきているとの事。実はインドの布画(パタ)に由来するという話もあるようです。お寺の至る所に宝石、黄金が使われていて想像以上に豊かだったのではとも感じます。
 宗教による支配層と惨めであった被支配層、その開放という型どおりの説明では納得しきれないですね。文化大革命で寺院の大破壊と僧侶が受けた被害をガイドさんも言ってました。文化大革命を否定する現政府の立場は明確になっていますから問題ないのでしょう。日本でも明治になっての神仏分離令で寺院に対する暴挙は酷かったですしね。
 チベットへの仏教の伝来は日本より遅く、弘法大師が中国から真言密教を持ち帰った頃に、インドから直接に密教が伝来。日本と違って中国の影響が少ないようです。元とか明など中国の歴代の王朝もチベット仏教に帰依していたとか。現在、ネパールとかモンゴルなどに大勢の信者・・共産政府時代に弾圧されていた信者が復活してきているそうです。
 その一方で高価なアウトドア用の大型外車(トヨタなど)に乗っている僧侶を見ると、うーんと思ってもしまいます。一筋縄では理解できないですね。

○3月28日 ポタラ宮〜アニ・ツァングン寺〜ジョカン寺〜バルコル
まずはポタラ宮

ポタラ宮

高原の宝像

湯沸かし器
太陽の都ラサ(lha sa)は「神の地」という意味。古くはラサ(ra sa)(ヤギ(ra)の地)とも書かれるらしい。吐蕃のソンツェン・ガムポ王が都とし、文成公主の占いで羅刹女の心臓にあたるオタン湖を埋め立てて寺を建立。その時に土を運んだのがヤギだそうです。
中国発表では、2006年のラサの大気が清浄だった好天日は363日、軽微または軽度の汚染の日は2日だったそうです。環境保護に力を入れていて、大気汚染物排出の多い企業に対して閉鎖、移転といった措置を行ってきたそうです。市の大型スーパーマーケットや商店ではビニール袋の替わりに、リサイクル可能で環境にやさしい買い物袋を利用するといった措置もしているとか。青海省でも目にしましたが、随所に太陽光を使った湯沸かし器が設置されていました。
 真っ青な空に明るく強い日差し、まさに「太陽の都」です。手に持ったマニ車を回す巡礼、五体投地している巡礼者などが多く、流石に宗教の街です。広い道に沢山の車、その割には東南アジア独特の喧噪はなく綺麗な街でした。人口は十数万人、いまは漢民族が多数派になっているらしい。 ポタラ宮は中国に統合される前のチベット政府の本拠地でダライラマの宮殿、いまは中国政府の管理下にある博物館のようです。世界遺産になっています。
 ソンツェン・ガムポがマルポリの丘に築いた宮殿を拡充していって、紅宮と白宮などがあるらしい。紅宮は工事中でした。

ポタラ宮前 広場

大勢の巡礼

ポタラ宮

ポタラ宮

ポタラ宮から市街

ポタラ宮から市街

ポタラ宮で僧侶と
 歴代のダライラマの墓がありました。ミイラになって宝石、金で飾られた大きな墓。ガイドさんの話ではダライラマは若死が多かったとか。環境の厳しさでの病死とか摂政による暗殺も多かったとの事。生まれ変わったダライラマを見つけてきて摂政が教育、ある年齢に達したら権力移譲。この権力構造は暗殺が頻発してもおかしくないかも。暗殺してから立派な墓を造るのも判らないですが、観音菩薩の生まれ変わりで生き仏として転生する人なのにミイラにして墓があるのは何故なんでしょうね。単純な疑問です。

続いては尼寺のアニ・ツァングン寺
 ポタラ宮もそうでしたが、通路の壁は経典をぎっしりと詰めた書棚になっています。経典のチベット語はサンスクリット語を翻訳するために造られたものらしいですね。
 明治に川口慧海がチベットまで行ったのも、「漢訳の経文より余程確かで、原典に忠実なチベットの経典」を求めてのことだとか。
 チベット語への翻訳が音を合わせたものなのか、意味を合わせたものなのか判りませんが、慧海さんが苦労してチベット潜入する程ですから後者なんでしょうねえ。

祭壇  なんでしょう?

香炉

街角の香炉
この尼寺では写真撮影がOKでした。写真禁止のところ、写真撮影が有料の所(かなり高い)が多いです。ここは、尼さんが住み込んで修行している感じ。生活をするアパート、炊事場、洗濯場などがありました。
サンという香を焚くための大きな香炉(名前は不明)。各寺院にも、街角にもあって大きなものですから、かなり煙ったいです。

ジョカン(大昭)寺
 続いてはお隣の大昭寺(ジョカン寺)。ラサ市内の中心街バルコル(八角街)にあって、チベット仏教の総本山。ソンツェン・ガムポ王の妃ティツン(ネパールから来た王妃)が亡き王をしのんで建てたといわれていて、本殿は王妃の故郷ネパールの方を向いているとか。

ジョカン寺

ジョカン寺から市街

ジョカン寺の屋上

五体投地

五体投地
本尊はもう一人の妃の文成公主が持ってきたと伝えられる12歳の釈迦牟尼像。
五体投地の巡礼者が大勢いる場所です。一心不乱に五体投地をしている人、強い日差しでアイスを食べながら休憩に入っている人、ちゃっかりと日陰を見つけて五体投地している人、半五体投地でよしとしている人など様々です。

バルコル(八角街)
大昭寺の周囲が八角街です。露店がびっしり。食料や衣服、日曜雑貨、民族工芸品、薬草などバラエティに富んでます。露店の奥には高級品を売っている建物の店もあります。表通りは広くて綺麗です。電線なども地中埋設。国の管理運営なんでしょうか。
八角街は、基本的に寺院と同じ右回りの一方通行が原則だそうです。
天珠を筆頭に水晶などいろんな玉石、マニ車、タンカ、各種お面といろんな民芸品が並んでいます。どこかで大量生産してるのか、同じようですぐ飽きてしまいます。奥の高級店は価格が一桁以上違っていて、店員さんも寄ってきません。購買力のないことをお見通しなんでしょう(^_^)。

○3月29日 デブン寺〜ラサ駅〜ノルブリンカ〜セラ寺〜蔵病院
 二日目のラサの観光です。郊外にある哲蚌(デプン)寺 、到着時に暗くて見えなかったラサ駅、そして夏の宮殿のノルブリンカ、仏教総合大学でもあるらしい色拉(セラ)寺を回って、最後はチベット医学の総本山?蔵病院を見学。
まずはデブン寺
ラサ郊外西北12kmの高台にあるゲルク派最大の寺院です。8月に行われるショトン祭での大タンカ開帳で有名。裏山には大きな仏像を描いたマニ石があり、その辺りに大タンカを広げるそうです。寺の中、壁ぎわの長い棚にタンカを丸めてしまってあり、巡礼者はその下を潜ります。最盛期は僧侶の数が9000人を超えていたそうですが、いまは800人ほどに減少だとか。

デブン寺 入口

大タンカ開帳のマニ石
お堂の中を見学、料金を払って撮影させてもらいました。堂内は暗いし、遠慮してフラッシュは焚いていません。沢山の仏像を見せてもらって、どれがどれだかの状態です(^_^;)。ご本尊は弥勒菩薩だとか。
外に出て大きな竈?のある台所を見学して本堂の外側へ。読経を終えた修行僧がたくさん出てきました。片言で話をした修行僧は中学生くらいかな(写真左上の端)。
広場に高級外車(トヨタかな))が並んでます。寄進がこんな形で消費されているんだとすると悩みますね。

お寺の台所

本堂前の広場

広場に並ぶ高級車
寺の入口には物乞いする小さな子供がいます。学校は無料だそうですのに、何故??。子供の身体つきは最貧国といわれるネパールの物乞いの子供よりしっかりしていますが。

続いてラサ駅〜ノルブリンカへ

ラサ駅

駐車場
青蔵鉄道でラサ駅に到着したのが27日の22:30と遅かったため、再度連れて行ってくれました。ポタラ宮とラサ河を挟んでいてかなりぐるっと回って行く必要があります。残念ながら列車到着まで時間があるので駅の中に入れませんでした。大きな駅で駐車場も広大です。
 市内近くに戻って、夏の宮殿ノルブリンカを訪問。宝(ノルブ)の庭(リンカ)という意味だそうで、ダライ・ラマ7世が1755年に建設、1950年代に中国に接収されるまで夏期の離宮だったそうです。
 ダライ・ラマ14世の住居(タクテン・ポタン)、家具やラジオ、レコードプレーヤーなどが展示されています。

ノルブリンカ

ノルブリンカ

ノルブリンカ

入口に杏?

タクテン・ボタンへ

タクテン・ボタン
 ここから、インドへと脱出・亡命したそうで、脱出の時刻を表示した時計がそのまま展示されていました。謁見室の壁画にチベット人の誕生(修行猿と羅刹女の子孫)から中国の言う開放まで描かれています。
 ポタラ宮、大昭寺と併せて世界遺産に登録されています。

セラ寺〜蔵病院の見学
 次々と寺と宮殿を回ったので、なにがなんだか・・次第に怪しくなってきました。
 こちらは、ラサ市の北8kmにあるセラ(色拉)寺。仏教総合大学の役割を果たしていて、河口慧海や多田等観も修行したらしい。
 仏教基礎から密教までここで学ぶそうです。1419年にチベット仏教のゲルク派の創始者ツォンカパが建立。

セラ寺

セラ寺

六道輪廻図

問答所 入口

問答

問答
 見学中に問答が始まりました。まだ小学生のようなほんの子供もいます。若い人が多く、たぶん入門者レベルかその兄弟子くらいのレベルだと思います。
 中庭で大勢が問答する風景はなかなかの迫力です。問い手は立ち上がってオーバーなゼスチャーで両手を打って、相手の目の前に打った片手をつきだします。
手を突き出したときに、大声で「なんとかかんとか」と言っています。座って答える側の弟弟子はそれに「ぼそぼそ」となんか言っているようです。本気で手を打ち鳴らすので、手が真っ赤になって、まあケンカ腰ともいえます。いかにもエリート候補らしき人もいれば、「俺はあかんわ」という諦め型もいます。幼すぎて不貞腐れた生徒を宥めている兄弟子もいたり、なかなか面白い。問答の内容はわかりませんが、仏教論理学だそうです。

問答

 前日に「ゾウビョウイン」を見学すると聞いて、「えーっ、象病院。動物病院?」と疑問符が(^_^)。事前調査の不足でした。チベット=西蔵の蔵病院、ここはチベット医学のメッカだったんです。
 この蔵病院はツア観光には必ず組み込まれているようです。我々の前にテレビ取材が来ていたようです。古い東洋医学の流れなんでしょうが、放射線科などもありましたし、西洋医学とミックスされた病院みたい。でも手術はしないという事でした。

蔵病院

見学者用の部屋
 チベット医学は2500年〜3000年の歴史があると言われてますね。3世紀にはインドから医者をチベットに招いて現在のチベット医学の基盤を築いたそうです。7世紀のソンツェン・ガムポ王の時にチベット医学も発展したようです。8世紀にはネパール、中国、インドなどの医学者が集まった医学会議も開催とか。
 その頃なんでしょうね、薬師如来の再来と呼ばれるユトク・ニンマ・ヨテンゴンポがチベット医学の学校を設立して、チベット医学の根本経典の「四部医典」を編纂したそうです。この内容を判りやすく図解したタンカが、17世紀になって描かれたそうです。

受胎から出産

尿の色と臭い
 案内された見学者専用の部屋の奥には薬師如来、ヨテンゴンポも祀られていて、まるでお寺みたいな雰囲気。部屋にはタンカが架けられていました。写真はそのひとつ。80枚ちかくあるそうで、写真は「尿の色とか臭いで病気を診断するためのもの」と「受胎から出産までの過程を詳しく描いた」タンカです。
 同衾から始まって、胎児の成長・・・チーズ状、ヨーグルト状の硬い塊〜性別があらわれ〜臍帯が形成し〜命脈が形成されます。
 第7週から第9週には眼ができ、頭部が現れ胸腹部ができます。ここまでが魚期。次は亀期。 第10週から第17週です。五臓六腑・手足が形成されます。
 第18週から第35週は豚期。筋肉・脂肪・靭帯・筋腱・骨・髄が形成されて皮膚が完成。頭髪・汗毛・手足の爪が形成されて、臓腑が成熟し、呼吸を開始し記憶も開始される。
 36週〜37週は、胎児は母体内で動き始めそろそろ母体から独立するように考え、38週は、胎児は転倒し分娩の準備を始めるとか。
 タンカを見ると、各期の名称はともかく胎盤での胎児が進化論に乗っ取って変化していく姿が具体的に描かれてました。

蔵病院の見学の後はバルコルのレストランで夕食。チベット風鍋だとか。ギャコックというそうです。なかなか美味しくて、ツア仲間のどなたかの発案で卵を調達、最後は雑炊になりました。

ギャコック

燃料の追加

炎が一気に

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