チベットの旅:青蔵鉄道と太陽の都ラサ・チェタン
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行程(その4)  2007年3月30日〜4月1日
 ・3/24    日本〜北京、国内線に乗り換えて西寧(シーニン)へ。ここで一泊。
 ・3/25    バス移動。シーニンで市内観光の後、日月山峠3510m、橡皮山峠3817m、中国最大
           の塩水湖である青海湖3200mを経てチャカで一泊。

 ・3/26   チャカから次の宿泊地ゴルムドに向かう途中でチャカ塩湖に寄って、塩を採取。
          ゴルムド2800mで一泊。
 ・3/27   ゴルムドでチベット鉄道に乗車。5072mの唐古拉峠を越え、約15時間で
          ラサに到着。

 ・3/28,29 ラサでは3連泊。ポタラ宮、チベット寺院、蔵病院などを観光。
 ・3/30    ラサからチェタンに移動。カンパラ峠4749mからヤムドゥク湖の湖畔で
           ピクニック昼食。
          そしてチェタンへ。チベット最初の王宮ヨンブラカン、真珠タンカで有名な
          昌珠寺を観光。
 ・3/31    チェタンのサムエ寺を観光してゴンカル空港に移動、国内線で北京へ。
 ・4/1     北京で一泊して翌日に帰国。

コースと概要(3/30〜4/1)  以下、クリックで地図、写真拡大します
 ラサの観光を終えて、30日はチベット文明発祥のチェタンへ移動。途中、標高4990mのカムパ・ラ峠と標高4441mのヤムドク湖を観光。湖畔でピクニックランチの後、再び峠に引き返して東に移動、チェタンの街へ。チベット最初の宮殿ユ(ヨ?)ムブ・ラカンと真珠タンカで有名なタントク寺を観光。1泊して翌日は立体曼荼羅のサムエ寺を見学。ラサ空港(ゴンカル空港)〜成都空港を経由して北京へ。北京で1泊して日本に帰国しました。

チェタンの観光

○3月30日 ラサ〜チェタン (ヤムドク湖、ヨムブ・ラカン、タントク寺)
カムパ・ラ峠とヤムドク湖
 ラサで3連泊した後、ラサ市の南に移動。カムパ・ラ峠とヤムドク湖を観光、湖畔でピクニックランチ。再び峠に引き返して東に移動、チェタンの街へと行きました。
 移動の途中、所々で軍の施設という理由で橋の撮影が禁止されました。何故、禁止なんでしょうね。橋を通り過ぎれば撮せますし、衛星写真でもばっちり。軍の存在を印象づけるためかしら? 相当数の軍が駐留しているようです。チベット地区の不安定さもあるし、インドに近い事もあるし、核施設もあるようですしね。

ラサのホテルにあった
酸素供給コック

ラサ河

用水路

植林
ラサ市街からラサ河を渡って南下。大きなラサ河はヤルンツァンポ河に合流します。灌漑・生活水の用水路が造られ植林もしています。
ホテルの部屋にあった酸素供給は有料だそうです(^_^)。ラサ河は想像以上の大きな河で、きれいな水がゆったりと流れています。用水路に分水して生活用にも灌漑用にも使っているようです。ラサの寺院の台所では薪を使っていました。薪が主要なエネルギー源なのでしょうか、植林の木は枝を切って薪にしているような感じでした。
ラサ河がヤルンツァンポ河(ガンジス河へと流入)に合流するする曲水大橋を右に曲がって山道をドンドンと登ります。標高4990m(4800m?)のカムパ・ラ峠までの道は数年前までガタガタ道だったとか。いまは片側1車線の舗装道になっています。眼下にヤルツァンポ河、グランドキャニオンのような地形と段々畑が拡がっています。

建設中の民家

石造りの民家

段々畑

ネパールに続く道

峠の手前

カムパ・ラ峠
峠には大きなタルチョがあり、ここでカタを奉納しました。観光客目当てにヤク・犬を連れた地元民が大勢います。風景写真を撮そうとすると前に出てきて邪魔します。写真代金を取るのが目的。きつい口調で注意しないとどきません。あまり良くない評判が立っているとか。
峠から眼下にヤムドク湖の青い水が広がっています。奥には雪を被った山。ガイドさんはカローラ山と言ってました.が、7191mのノジン・カンツァン峰かも。
湖まで下ってピクニックランチを満喫。湖畔に集落があり、船でのクルーズもできるようです。湖は標高が4441m、チベット3大湖の1つだとか。そのまま西に進むとカトマンズ方面に行けそうですね。

ヤムドク湖と雪山

ヤムドク湖と集落

湖で弁当

ヨンブ・ラカン(計測値:標高3734m)

チェタンのホテル

ユムブ・ラカン
峠に引き返しヤルンツァンポ河まで戻ります。チェタン目指して川沿いに西へ進みました。乾期のわりには水も多いですが、川岸から急激に砂漠のようになります。大河と砂漠が隣接という不思議な光景です。
チェタン・・チベット文明発祥の地といわれるヤールン渓谷にあります。チベット神話では、ここで修行していた猿と岩の精女からチベット人は生まれたとか。ホテルに荷物を置いて、ヨンブ・ラカンを観光。山の上のお城、チベット最初の宮殿です。
初代チベット王ニャティ・ツァンポがBC1世紀に創建。文化大革命で破壊されて1982年に復元。
外観は要塞ですが、内部はチベット寺院。他のお寺と同じ様式で、読経する広間、その回りを囲む仏像と灯明、マニ車など。お城の隣の丘はタルチョの山です。ここでルンタを撒きました。,「ラージャロー」(神に勝利あれ)のかけ声で撒きます。

ユムブ・ラカン

隣接の丘

ルンタを撒く

観光用の駱駝

拡がる畑と町

眼下の町
下を見ろすと観光用の駱駝が昼寝中(^_^)。ヨンブ・ラカンから見下ろす平野には区画された広い畑と町が広がっています。流石に初期の都、豊かな感じがします。
チベットは農業と牧畜の国だったようですね。遊牧の人達もいたのでしょうが。

昌珠(タントク)寺(計測標高:3670m)
真珠タンカで有名なタントク寺へ移動。ソンツェンガムポによって7世紀に創建されたチベット最古の寺院だそうです。かなり痛んでいて荒廃の感もあります。文革で破壊されたようで、いま修復の作業中のようです。
唐王室から嫁いだ文成公主が自ら作ったとされる「無数の真珠でつくられた仏陀のタンカ」を見せてもらいました。

タントク寺 入口

タントク寺 中庭

タントク寺

修復作業
2万個の真珠だそうですが、私には「うーん豚に真珠」かな。もうひとつピンと来なかったです(^_^;)。
この真珠はどこから来たものか、チベットは大昔に海だったといっても真珠の化石なんてないだろうし、文成公主が唐から海で採った真珠を持参したのでしょうかしらね。ガイドさんに聞いても判然とはせずです。

○3月31日 チェタンでサムエ寺〜ゴンカル空港〜北京
サムエ寺(計測標高:3599m)
チェタンからサムエ寺への道、今回初めての未舗装のガタガタ道を峠越えです。大きなヤルンツァンポ河が流れていますが、周囲は砂漠。2号車のバスが故障し、我々は峠で待機、1号車が故障バスの乗客を迎えにUターンしていきました。約40分ほどの待機で故障バスの乗客を乗せて戻ってきました。改めて峠を越えてサムエ寺へ。

チェタン ホテル

河を渡る

峠で待機

峠の靴

砂漠〜

砂漠〜その2
この峠に待機中にタルチョの方へ行くと沢山の靴が捨てられていました。奉納?、なにか意味がありそう。鳥葬の聖なる場所に衣服を脱ぎ捨てるという風習があるそうだけど?

峠を越えても砂漠の中です。
立体曼荼羅で知られているサムエ寺です。なにか建造したばかりの新しい雰囲気で、地面も剥き出しです。8世紀に仏教を国教としたティソン・ディツェン王が建立したチベット最初の寺院だそうだし、おかしいなと調べたら、文革で大破壊されて再建された(再建中?)そうです。

サムエ寺 本堂

チョルテン

チョルテン

お堂?

チョルテン

チョルテンとお堂
本堂が世界の中心のスメール山(須弥山)、周囲に四大部州のお堂が置かれているらしい。その紹介記事の写真には白、赤、黒、緑のチョルテンは写っていません。新しく建造されたのかな?。
建立の際、反仏教勢力のポン教の執拗な呪術による妨害で工事が難航したそう。
印度からパドマサンババを招いて悪魔祓いを行い、落慶できたそうです。そして調伏された土着神は仏教を護る護法神と変身したみたいです。
インドでもヒンズーなどのいろんな神様が仏教に加わってきていますし、中国で道教の神様も一緒になったりと融通無碍。もちろん日本でも同じ、日本で付け加わったりもしてますね。
ところで、護法神・・・うん?、私のハンドルは護法。寄進して、護法神のお面も拝領してきました(^_^)。

薪にも利用かな?

護法神

ゴンカル空港〜北京

工場?企業?


新築住宅
ゴンカル(ラサ)空港はラサの街とは一山挟んでいて遠い場所にあります。チェタンからだとラサまで行かずに空港になりますが、流石に近くは工場とか街そして住宅開発が進んでいます。
広々とした畑も見られます。空港は市内から100kmも離れているそうです。バス故障で時間がかかったため、空港での食事はハンバーガー(ヤクバーガー)になりました。
ここで西寧からスルーの現地ガイドさん(30歳前でマンションを購入、ローンも終了とか。優しく頼もしく、色んな事を教えてくれました)、ラサからの現地ガイドさん(うーん、体制派・・かな?)とお別れ。

広々とした畑

空港

○4月1日  北京〜帰国
 ゴンカル空港(計測標高3663m)を14:30にテイクオフ、成都に17:35到着。なんと計測標高は659mです。
成都でいったん降りて空港内で待機です。

中国モードのキーボード
成都の空港で見つけた中国語モードのパソコンです。無料でインターネットが使えました。
ところで、このキーボードは変でしょ(^_^)。そう、Gのキーがふたつあって、Oのキーがありません。最初、URLの・・・・.COMを入力するのに、アレレでした。英語モード入力に変えて、右の方のGキーをおすと、目出度くOを入力できました。

成都を19時過ぎに飛び立って、北京のホテルには22時過ぎての到着でした。
そして、翌日の4月1日。7時前にホテルを出て関空には12時頃に到着です。

エピローグ
 今回のチベットの旅。まあ色んな情報が頭の中を渦巻いて、帰国後もなかなかチベットから脱却できずにいました(います?)。想像以上に奥深い文化があって、まだ調べている最中です。信じられないような昔なのに我々の常識に近い知識と知恵をが詰まったチベット医学もそうです。かっては長安も一時は占領したほどの強国時代もあったみたい。元とか明などの皇帝までが帰依したチベット仏教。興味津々です。印象がまだストンとお腹の中に収まっていません。きっと、もう一度行くと良いんでしょうけどねえ。

チャカ塩湖の塩
今回の旅で入手してきた記念品のいくつかです。
以前にネパールで入手したマニ車はiいかにも色んな祈りが籠もっているようで、八角街で新しいものを購入。
こちらは、チャカ塩湖で採取した塩です。舐めると甘いですね。
ウイグル地区?青海地区?チベット地区?なのか判然としませんが、この近辺には中国の核関連の基地、施設、実験場があります。
最初の中国の核実験は大気圏だったし、技術未熟で核燃料が燃え切らなかったためか、放射性物質を日本にもまき散らしました。清浄にしている原子力発電所の入口で外の汚染のためアラームが出て屋外に出られなかったという笑えない話もありました。横浜の我が家の裏にもホットスポットが落下、計測器がうるさく鳴り響きました。黄砂と同じルートで飛んできたのでしょう。
念のために採取した塩の放射線を計っています。まったく問題なかったです(^_^)。


護法神

百年孤独

書籍
こちらは、私と同じ名前の神様、護法神です。 そして、なんと百年孤独です。「の」が抜けてますが、デザインは宮崎の幻の焼酎「百年の孤独」と全く同じ。
もうひとつは、書籍類です。なかなか立派な地図の本、チベット仏教の生死之本そして日本の歴史の本です。
現代チベット音楽の収録されたCDをゴンカル空港で購入。一方はXCD、もう一方はVCDです。XCDのほうはプレーヤーで問題なく再生できています。問題はVCDです。DVDプレヤーで動きません。パソコンのDVDドライブに挿入したら・・・途端にウイルスのアラーム。曲がXCDの方と重なってもいるので、まあ良いかと諦めながらも、連れ合いは怒っております(^_^;)。
中国には海賊版も多いし、ウイルスの汚染も有名ですが、空港の売店でねえ。念のため、パソコンのウイルススキャンをしました・・・手間かかるう(~_~)。

XCD,VCD

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