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徳島 眉山 |
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夫婦で山歩きホームページトップへ |
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行程 1月10日
徳島市内=眉山山頂 駐車場-ロープウエー山頂駅-春日神社へ下山-天神社へ移動
9:23 9:57 10:43 11:02
-ロープウエー山頂駅-昼食-三島神社へ下山-春日神社へ移動-ロープウエー山頂駅
11:53~13:00 13:26 13:52 14:36
=最高峰 登山口-最高峰-最高峰 登山口=徳島市内
15:00 15:34~16:02 16:42 |
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コースと概要 以下、クリックで地図、写真拡大します |
グーグルアースとGPS |
カシミール |
友人ご夫妻と山歩きトレーニングを兼ねて市内の眉山を二往復+最高峰をピストン。
おそらく徳島市民のほとんどの方が眉山の山頂だと思われているロープウェー駅のあるところが標高277m。実は最高峰は別の場所にあって290mです。もっとも前者には一等三角点があります。後者の近くの三角点は四等三角点らしい。
毎日のように自宅から歩いて往復される方もおられる市民の森のような存在。 |
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1回目の往復 |
2回目の往復 |
最高峰ピストン |
でも、トレーニングにはちょっと物足りない。そこで、往復2回と最高峰へのピストンを組み合わせ、全行程は約10Km、累積標高差は+803m/-804m。約6時間の歩行、まずまずでしょうか。 |
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上の図はこちらは、各行程の断面図です。
・1行程 茂助ヶ原駐車場出発(9:57)-春日神社(10:43)-天神社(11:02)
-ロープウエー駅頂上戻り(11:53)~昼食13:00
・2行程 ロープウエー駅頂上(13:00)-三島神社(13:26)-春日神社(13:52)
-ロープウエー駅頂上(14:36)
・3行程 茂助ヶ原駐車場(14:41)-最高峰入口(15:00)-最高峰(15:34~16:02)
-最高峰入り口(16:42)
でした。 |
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このコースは、2006年3月の屋久島縦走に供えてのトレーニングで歩きました。シェラフにマットと大荷物を背負っていたので、行き交う方々から色々お声をかけていただきました。いぶかしがられたり、徳島らしくお遍路さんと間違えられたりもしました。 |
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剣山神社 |
丸い注連縄くぐり |
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実に神社にお寺などが多いコースですし、かって徳島が繁栄していた頃の跡なども見られます。
まずは、下山を始めたところにある剣山神社。百名山の剣山の遙拝所になるらしい。鳥居のところに丸い注連縄(?)があります。ここをくぐるのに作法があるらしい。チベット仏教の右回りよりややこしい八の字回りです。 |
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市の中心部に近い所とは思えないような山道を下っていくと・・・「やすらぎの間」。「市内と心の展望を」と書いてあります。心は写真に写らなかったので、市内の展望です。 |
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神社にお寺の多いコースですし、かって徳島が繁栄していた頃の跡なども見られます。
木曽御嶽信仰も盛んだったようです。御嶽山にも徳島の石碑が建っていました。阿波ヶ岳、阿波太祖という文字が彫られていました |
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三宜、白糸という最高級の二軒の料亭と、梅屋、春日野、玉水などの小料理屋、それに持明院時代からの焼餅屋も残り、花見、納涼、紅葉、雪見と一年中遊客で賑わった・・・そうです。これらは、米軍の空襲で一つ残らず灰になったとか。
江戸時代から続いている滝の焼き餅屋の和田乃屋さんでは、黄花亜麻(きばなあま)を育てられいます。通称、モラエスの花。インド北部から中国が原産だとか。 |
黄花亜麻 |
黄花亜麻
和田乃屋 |
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智慧の牛 |
行き止まりの橋?? |
何故か猿田彦の祠 |
皇居遙拝所跡 |
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天神社からの登り返しのコース。「智慧の牛」、頭が良くなるそう((^_^))。 |
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二回目の下り、三島神社です。複数の神社があり、そのひとつに聞き慣れない天目一神社があります。天目一箇神を祀る神社として全国にあるようですね。
三島神社の狛犬、鎌倉時代に伊予から来た地頭が安置した砂岩の狛犬で、明治28年に重要歴史文化財に指定とも記されています。でも、脆そうなのに、無造作に放置されているし、重要歴史文化財も「どこが、いつ、何故」指定したか書かれていません・・・ホントの話なのか?? |
天目一神社 |
鎌倉時代の狛犬 |
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最高峰へのピストンコースです。三角点と祠を通過して最高峰に到着。 |
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眉山の山腹には江戸時代に大きなお寺(持明院)もあったようです。以前に少し調べてこのホームページにアップしてあります(URL)。
麓には弥生の頃の遺跡も多いようで、面白い歴史が埋もれているようです。ここ徳島では、南北朝、室町、戦国、江戸そして二次大戦の各時代に破壊と開発がされたたようで、昔の事がなかなか判らないですね。各時代での支配層も関東勢(細川氏も蜂須賀氏も関東ですよね)だったり、土佐の征服があったりと実にややこしい。 |
眉山の山頂の別称「茂助ヶ原」も、地名にもなっているようですが、この由来も簡単には判らないです。徳島の紹介ホームページに「頂上一帯は、市民の公募から「茂助ヶ原」と呼ばれており・・」と出ています。
でも、いつ頃の事なのか、その命名の大元はとなるとさっぱり情報が見つからないです(;_;)。 |
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