ネパールの旅:ダウラギリ氷河展望
ジョムソン、タサンビレッジ連泊 |
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行程 2014年11月22日~29日 |
11/22:関空(成田)−(キャセイ航空)−香港−(ドラゴン航空)−カトマンズ泊
11/23:カトマンズ−(国内線)−ポカラ
ペワ湖散策とホテル(シャングリラビレッジリゾート)泊 |
↓ |
11/24:ポカラ−(国内線)ージョムソン−(トレッキング)−ナウリコット
の筈だったが、強風でフライトキャンセル。
ジープで超ダートな道をナウリコットまでジープ走行、約10時間弱。
ロッジ タサンビレッジ泊 |
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11/25:ショコンレイク ハイキング
タサンビレッジ泊
11/26:ティティガオンのハイキング
タサンビレッジ泊 |
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11/27:ナウリコット−(ジープ走行)−ポカラ
ホテル(シャングリラビレッジリゾート)泊
11/28:ポカラ−(国内線)−カトマンズ−(ドラゴン航空)−ダッカ(機中待機)−香港
の筈だったが、カトマンズ空港がネパール経済サミット会議で閉鎖で、
バス移動に変更。遅くなったが、タメル地区を散策。
11/29:香港−(キャセイ航空)−関空(成田) |
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○プロローグ |
2000年に初めて行ったネパール山旅は「アンアプルナ・ダウラギリ展望の周遊 コース」。
この時はテント5泊で周回。そして、翌年はエベレスト街道、このときはテント4泊でピストンコース。
いずれも、シェルパ(サーダー+見習い)、キッチン隊、ポーター 群が同伴の大名トレッキング。
当時は最貧国のひとつと言われていたネパール。カトマンズ空港でスーツケースに群がってチップをねだる大勢の子供、いかにも貧しい身なりです。もちろん学校には行っていない。
物乞いも至る所にいて、怪我した場所にウジが湧いている人も。道路端にばったりと倒れてピクリともしない子供も見かけたが、周りの人達は誰も気にしていない。
なかなかのショックを受けながらも、流石に地球の背骨といわれるヒマラヤの雄大な山々の展望と現地の人達との交流もエンジョイしました。
もう一度行きたいと思いながらも、エベレスト街道から戻った後すぐに国王の暗殺が起こり、不人気の弟の即位。マオイストによるテロなどもあって,治安悪化。
その後、2008年に王制廃止し共和国になり安定してきたし、一般的なトレッキングはテント泊から大幅に増えたロッジ利用に変化していきました。手軽になったとはいえ、体力とも相談しながらで、なかなか行くチャンスを作れなかったが、「ロッジ連泊で3000m未満の簡易トレッキングツア」を見つけました。これが、体力の耐えられるラストチャンスかなと、自分の年齢大台の突破記念も兼ねて申し込みです(^_^)。
とはいえ、やはりなにがあるか分からない辺境?の旅。楽ちんツアの筈でしたが、目的地ジョムソンが強風のためフライト中止となり、超ダートな道をジープで約10時間かけての長時間移動。更には、ネパール経済サミット会議(南アジア7ヶ国)にぶつかり、帰りの日にはカトマンズ空港が閉鎖。ポカラからカトマンズまで長時間バス移動などと想定外のアクシデントも(^_^;)。なかなか経験できない面白い体験とはいえ、疲れます。
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○コースと概要 |
ネパール全体図 |
今回のジョムソン街道と
2000年の
アンアプルナ・ダウラギリ展望コース |
カトマンズ~ポカラ~ナウリコット |
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西遊旅行のツア参加者は関空から9人、成田から4人の13人と関空からのツアリーダ1名。
ネパールではカトマンズから現地ガイドが1名、ナウリコットで現地ガイドが更に1名。
2000年の 「アンアプルナ・ダウラギリ展望の周遊 コース」と今回のジョムソン街道コースを併記。 |
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○11/22~11/23 関空~香港~カトマンズ |
関空~香港
香港までの機中、中国語字幕版での「春を背負って」 です。既に、映画館で観た映画なので、をなんとなく中国語の字幕を眺めてました。
香港空港ではトランジットで約4時間ほどの待機。 中をうろつきましたが、時間をもてあまします。
そしてカトマンズ空港へ |
香港空港 |
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台湾ボランティア? |
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22時にカトマンズ到着、空港で現地ガイドのパトナさんと合流。 若い頃はポーターだったが、いまはガイドになり西遊の社員。日本にも来ていたらしい。
空港で出会った団体は、「Internatinal Medical Service in Nepal」と 書いてあるチョッキを着用。聞くと台湾かららしい。RIともかかれているので、
ロータリークラブのボランティアか?
カトマンズのヤクアンドイエッティのホテル到着が23時57分と遅くて、軽くシャワーして寝たのは日がかわってからだ。 |
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翌日、ホテルから空港へ移動。 空港の天井に貼り付いている猿たち。以前に訪問したパシュパナード寺院、ガンジス支流のバグマトル川の岸に焼場があった。ここで、死体を焼いたあと、川に流すが、ここには野生の猿がいっぱいいた。
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ヤクアンドイエッティホテル |
空港
経済サミット会議
の看板 |
空港の野生の猿 |
国内線 待合 |
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??? |
マナスル山群か? |
アンナプルナ4,2
ラムジュンヒマール? |
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カトマンズ空港を8時過ぎに飛び立ちポカラへ。30人乗りほどのプロペラ小型機です。2000年の時と同様に狭い機内の中でキャビンアテンダントが耳栓の綿(^_^)と飴玉そしてコーヒーなどを配ります。
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ポカラまでの約30分ほどのフライトでは天候に恵まれ 右の窓から見るヒマラヤの山の展望が素晴らしい。
なかなか山座同定は難しいが、マナスル山群、アンナプルナ山群そしてマチャプチャレの展望を満喫できました。 |
マチャプチャレ、
アンナプルナ3 |
上空からポカラ |
ポカラ空港 |
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ペワ湖畔散策 |
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ポカラ到着
ペワ湖の近くにある素敵なリゾートホテル(シャングリラ・ビレッジ・リゾート)に荷物を置いて、近くにあるペワ湖を訪問、湖畔を散策。 |
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2000年にも未舗装の通りに多少の店はあったが、今回は道路も舗装され店も増えていました。なによりも湖畔に観光施設が沢山できていて、以前にはなかった水上で遊ぶボートが沢山浮かんでいるのに驚きました。
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2000年当時
メイン道路 |
2000年 ペワ湖にてツア仲間 |
2000年 ペワ湖 |
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メインのショップ街 |
ペワ湖のボート |
湖畔の施設 |
湖畔の売店 |
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観光地として整備も進み、観光客で賑わっていました。2000年当時は少し寂しい感じでしたが。 |
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湖からちょっと離れた奥にある小さな隠れ家風のレストランへ移動。
途中に建設中の2階建てで小さなショップの集まった長屋風建物。中国などでも多いですね。支柱に竹を利用してます。 |
菩提樹の大木 |
下にはヒンズーの
神様ガネーシャ |
湖から
マチャプチャレ |
建設中 長屋風の店 竹が使われてます |
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ここでダルバート(ネパールカレー定食)と地ビール(ゴルカ)を味わいます。地元で評判のレストランらしいが、ダルバートは美味しかった。 |
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ランチの後、また住宅街からショップの並ぶメイン道路へ戻ります。
途中、道路の頭上に枯葉を挟んだワラ縄が張られています。10/11月のティハール(灯りの祭)の結界のようなものらしい。家々にローソク、ランプ、電飾で灯りをともすとの事。
途中にあった「ブッダこども移動図書館」。ネパールの子どもたちに本を読んでもらおうとスタートしたプロジェクトでネパールの各地を回っているらしいです。 |
ブッダこども移動
図書館 |
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ポカラの宿はシャングリラ・ビレッジ・リゾートというきれいなホテルです。
ペワ湖に行く前にスーツケースを預けました。 |
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ホテル戻り、荷物をダッフルバッグとザックに振分け。 |
ホテルから
マチャプチャレ |
ホテルから
アンナプルナ |
ホテルの寝室 |
中庭 |
中庭 |
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ネパールはヒンズー教とチベット仏教が混在、カトマンズとかポカラなど下の街にはヒンズー教が多いみたい。 |
寝室から中庭 |
中庭の社? |
社の中
ブラフマー神? |
通路のあちこちで
お祀り |
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夕食はビュッフェスタイルで欧風料理。 |
パンフレットから
中庭とレストラン |
寝室からレストランへの回廊 |
中庭で演奏 |
レストラン |
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地ビール
エベレスト |
地ビール
エベレストラベル |
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ここでは地ビールのエベレストビールを楽しむ。
このビールはエベレスト登頂50周年の記念ビールらしい。
エベレスト12回登頂の伝説クライマー(ニマ・ゴンブ・シェルパ)のラベルが貼られています。 |
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