トルコ 世界遺産と遺跡の旅11日
    3月2日 イズミール→ベルガマ
         →トロイ→チャナッカレ
夫婦で山歩きホームページトップへ

3月2日 イズミール→ベルガマ→トロイ→チャナッカレ
   以下の写真、図はクリックで拡大します。      
 トルコの先頭ページへ戻り

さて3月2日。今回の旅行で一番楽しみにしていたトロイの遺跡をまわる日です。
イズミールからベルガモン王国の遺跡ベルガマを経てトロイそして今日の宿のあるチャナッカレまで約330Kmの移動です。
まずは、トルコ石の土産物店に立ち寄ってから、ペルガモンのアクロポリス遺跡。アクロポリスは標高300mほどの山の頂上にあります。

イズミール ホテル

アクロポリス

城壁の一部

城壁の一部

山頂
ペルガモンは、BC3世紀半ば~2世紀のヘレニズム~ローマ期にペルガモン王国の都として繁栄。
発掘品は二次大戦前に列強に持ち去られて、ここの遺跡跡はちと寂しい。
アテナ神殿の下に広がる劇場は紀元前2世紀、エウメネウス2世の時代に建設されたらしいが、もっと古く前4世紀とする説もある。古代劇場の中でも稀に見る急傾斜を特徴とし、1万人を収容できたらしい。

山頂の上市から中市

劇場

トラヤヌス神殿

トラヤヌス神殿

武器庫跡の貯水槽

貯水槽の中
武器庫には大きな貯水槽が残っている。コインを投げて、真ん中にある石の上に上手く乗ったら願いが叶うとのこと。
下の平野を挟んで水道が引かれていたというが?

アテネ神殿付近
BC4世紀、ペルガモンの神殿としては最古

ゼウスの祭壇

BC190年、ガラティア人への勝利を感謝した祭壇

ダム

ペルガマの飲料水
古代ペルガマから使用された?

トロイの遺跡、叙事詩「イーリアス」そしてシュリーマンであまりにも有名。トロイのヘレンとかブラッドピット演じるアキレスが主演の映画「トロイア戦争」等々、わくわくでしたが・・・どうももうひとつだったかな。
あるのは崩れた石垣程度、復元も殆どされず。入口にトイレと間違えた小さな建物があり、そこに汚れた説明版があるのみ。入口のオモチャのような木馬がかえって寂しい。遺跡は青銅器文明のBC3000年から、ローマ時代のBC334年までのて9層からなる重層構造。

何層もある遺跡の説明版

おもちゃのような木馬

入口の城塞

城壁
ヒサルルクの丘に集落が作られた時代は丘のすぐ近くまで海岸線だったそう、だからギリシャ軍が海岸に木馬を置いて罠を仕掛けられたのでしょう。木馬を城内に引き入れたのは、ここ入口付近の城壁の道だそうだが?
ホメロスが描いた木馬のトロイは「第BC1275~1240年と言われてます。でも考古学的には、BC1200年頃にトロイ戦争があったのかどうか、トロイ人とは?ということも解っていないそう(^_^;)。
シュリーマンは考古学未発達の時代のせいもあるが、素人のために闇雲に発掘。重層した時代層を破壊、おまけに財宝もドイツに持ち帰ってしまったらしい。彼が手にした財宝は「第Ⅱ(BC2500~2200年)」時代の物で、トロイ戦争時の物ではないそう。おまけに「第Ⅲ層」「第Ⅳ層」「第Ⅴ層」は崩されてしまい、出土品が極めて少なくなってしまったとか。

シュリーマンが財宝を発掘した第2層?

第9層ローマ時代の生贄儀式跡

オデオン

アーモンド
ローマ時代の小オデオン。 
BC500~334年の第Ⅸ層のオデオン。
入口にアーモンドの花が咲いていました。とこおで、ここが世界遺産になった理由・・・シュリーマンの大発見によって考古学の進歩に多大な貢献をした功績だとか。


チャナッカレ ホテル
そしてチャナッカレへと移動。その日のホテルです。エーゲ海に面していて、1200メートル幅のダーダネルス海峡(チャナッカレ海峡)の入り口にあります。
この海峡は、ヨーロッパとアジアの両方に接するエーゲ海とマルマラ海とを結んでいます。 明日は、フェリーでこちらアジア大陸からヨーロッパ大陸へと渡ります。