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トルコ 世界遺産と遺跡の旅11日
3月1日 バムッカレ→エフェソス→イズミール |
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3月1日 バムッカレ→エフェソス→イズミール 以下の写真、図はクリックで拡大します。 |
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バムッカレからエフェス(エフェソス遺跡)を観光してトルコ第3の都市イズミールへと移動。約280kmです。途中、立ち寄った革製品の店。観光ツアにつきもののこういった土産物店などの訪問は大の苦手です。どちらかというと現地のスーパーなどで地元の方達が買い物をする場所の方が良いですね。 |
革製品の店 |
お客を巻き込み
ファッションショー(^_^;) |
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アルテミス神殿跡
右奥:聖ヨハネ教会 |
アルテミス神殿跡 |
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エフェスはBC11世紀に古代ギリシャ人が建設。アルテミス神殿を中心に都市国家として発達したらしい。アルテミス神殿は古代世界七不思議に入っているようですが、いまは破壊されていて見る影もありません。127本あった石柱も1本残すのみ。右奥の遺跡は聖ヨハネ教会。ヨハネが聖母マリアと共に此処を訪れ、晩年を過ごした場所。
神殿に犯罪者なども逃げ込むと、アルテミスの保護下にあるとされ捕まらなかったとか。クレオパトラに命を狙われた妹アルシノエは暗殺を恐れてアルテミス神殿に籠もったらしい。 |
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すぐ近くのエフェス遺跡の方は大きな規模で見応えがあります。
エフェソスはヘレニズム都市として栄え、紀元前2世紀に共和制ローマの支配下に入り、共和制ローマ最末期にマルクス・アントニウスがエジプトの女王クレオパトラと共に滞在した地。 |
ヴァリウスの浴場跡 |
オデオン手前 |
オデオン音楽堂
(1400人収容) |
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音楽堂 |
公会堂、上に女神ヘスタの聖火台 |
ここにもオキナグサ |
メミウスの碑
ローマの独裁官スラ、
息子、孫 |
狩猟、商売、旅人の神
ヘルメス(エルメス) |
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ポリオの泉
.1世紀初め建造。
市民の水瓶 |
勝利の女神ニケ
(ナイキ) |
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クレディア通り
(カエサルの歩きし道に
オキナグサ) |
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ヘラクレスの門 |
トラヤヌスの泉 |
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邸宅街のモザイク舗装 |
邸宅街のモザイク舗装 |
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邸宅街のモザイク舗装 |
邸宅街のモザイク舗装 |
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ハドリアヌス神殿 |
ハドリアヌス神殿
女神ティケ |
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公衆トイレ跡 |
ケルスス図書館
ギリシャの三大図書館 |
1万2000巻の蔵書 |
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マーブル通り |
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マーブル通り、
娼館の広告 |
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キリストの印らしい |
24000人収容の大劇場 |
大劇場跡と
アルカディアン通り |
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まだ同定できていない遺跡の写真が多数あります。案内図なしで歩いたのでもうひとつ明確になりません(^_^;)。
マーブル通りの人の足型は娼館の広告、現存する世界最古の広告だとか。女性の姿、ハート、お金を描くことで娼館を表現し、足型より自分の方が大きくないと娼館を利用できなかったらしい?。実はケルスス図書館には地下通路があり、隠れて娼館へと通うことができたとか。
(春ひさぐ足跡かなし石だたみ) |
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2009年9月にNHKスペシャルで「クレオパトラの妹」の発見が放映されました。墓そして石棺と骨も発見されたようです。それが、ここエフェソスのクレディア通りの当時の高級住宅街。
炭素年代測定で、骨の主が生きていたのは、クレオパトラと同じ時代と判明。身長は当時としては高い154cm、大変細身の女性だったと判ったらしい。 |
左の囲いがお墓? |
左の囲いを拡大 |
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肝心の頭蓋骨は、ドイツの調査隊により持ち去られたが、発見されたドイツ調査隊のデータから再現した顔も放映されました。ギリシャ系白人と古代エジプト人の混血とわかったらしい。
前述のようにアルシノエは暗殺を恐れてアルテミス神殿に籠もったらしいが、結局はクレオパトラに依頼されたアントニオの配下に殺されてしまった(死因は突然死で、15~17歳)との事。
埋葬された墓は当時の高級住宅街のある図書館からのクレディア通りとの事なので、上のクレディア通りの左端に写っている囲いの中にあるのではないかと推測。 |
墓 |
アルシノエ |
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宿泊はエーゲ海沿岸を更に西に移動してトルコ第3の都市イズミールのホテルへ。大きなホテルで大浴場、トルコ式風呂(ハマム)、スポーツジム、スイミングプールなどが併設されています。持参した水着をやっと活用、1Kmほど泳ぎました\(^_^)/。 |
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