|
|
トルコ 世界遺産と遺跡の旅11日
2月23,24日 イスタンブール観光 |
 |
| 夫婦で山歩きホームページトップへ |
|
2月23日 成田→イスタンブール、
2月24日 イスタンブール観光
以下の写真、図はクリックで拡大します。 |
トルコの先頭ページへ戻り |
|
| ○2月22日に東京に移動、2月23日14時過ぎに成田から出発です。 約12時間の飛行でイスタンブールに到着したのは同じ23日の20時頃。イスタンブールの空港からチャーターバスに乗りホテルへ。その日はホテルで寝るだけです。 |
|
|
| ○2月24日 イスタンブール観光そして寝台列車でアンカラへ移動 |
|
|
この日の観光移動をGPSで記録してグーグルアースで表示。
ます、新市街でドルマバフチェ宮殿を観光して旧市街へ。旧市街ではローマの競技場跡ヒッポドローム、ブルーモスク(スルタンアメフット・ジャーミィ)、アヤソフィア、ビザンチン時代に作られた地下宮殿を観光。 |
|
新市街:ドルマバフチェ宮殿オスマン最後の宮殿
主に東欧などから美女を集めた広大なハーレムも見学。トルコ共和国を創設した初代大統領ケマル・アタテュルクもここで執務。 |
|
|
|
|
執務中に亡くなったそうですが、素晴らしい人物だったようです。
庭に変わったカラスがいました。 |
|
| 旧市街:ヒッポドロームではローマの競技場跡を観光。戦車競技が行われていたらしい。広場にはエジプトとかアポロン神殿から持ってきた石柱が立っています。 |
|
|
| そしてブルーモスク(スルタンアメフット・ジャーミィ) |
オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世が1609~1616年に建造。
世界で唯一優美な6本のミナレットと直27.5mの大ドーム。数万枚のイズニク製の青い装飾タイルでブルーモスクとも。 |
|
|
| 続いてはアヤソフィア |
| ビザンツ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建設されたもので、東西教会の分裂(1054年)以後は、正教会の総本山。オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。その当時に塗りつぶされたキリスト教の壁画が修復されています。 |
|
|
|
|
|
|
|
1934年に、アタチュルクによって世俗化され、1935年には博物館になったそう。
右端の写真は回廊の部分にある「湿った支柱」、別名「マリアの手形」です。柱の穴に指を入れて一回転させると、幸せになる?この穴は湿っている感じがします。 |
|
|
| アヤソフィアに隣接のトプカピ宮殿へ |

外廷の正門「挨拶の門」 |
|
15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。イスタンブル旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置する。
トプカプ宮殿の名は、19世紀に皇帝がこの宮殿からドルマバフチェ宮殿に移った後、宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門」(トルコ語:トプカプ)にちなんで呼ばれるようになったとの事。 |
|
| ここもブルーモスクと同じく壁はイズニックタイルで飾られています。 |
|
|
|
|
かっての世界帝国の栄華が偲ばれる宮殿です。世界各国からの表敬者が集う大広間、各国からの贈り物などがいっぱい。 |
|
|
|
宮殿の広い敷地内には、キオスクの語源となる宮殿や邸宅の離れといった住宅建築köşk、博物館、宝物館など。観光シーズンには人が溢れるらしいが、今回はまばらでゆったりとできました。
体調不調で写真が撮れてなく、ネットから借用してます(^_^;)。 |
|
|

日本での展示 |

日本での展示 |

86カラットのスプーン職人のダイヤモンド
エメラルドの短剣 |
|
流石に世界帝国。歴代スルタンが身につけていたり収集していた宝飾品・・金、エメラルド、ルビー、ダイヤなど金銀・宝石で飾られた衣服や短剣、置物・・想像を絶する宝物がいっぱい。トルコの経済は安泰か(^_^;)。想像を絶する財宝ですが、博物館にはモーゼの杖?、ムハンマドの顎鬚?なども展示。なんだか、貧乏人は財宝まで偽物かと疑ってしまいます。
撮影禁止なので展示会などのパンフレットから引用。
|
|
| 今日の観光の最後は地下宮殿 |
| 通称が地下宮殿のバシリカ・シスタン。東ローマ帝国の大貯水槽でオスマン次代も使っていたそうですが、いまは世界遺産で観光名所。現存する東ローマ帝国の貯水池としては最大。玉飾りで覆われた柱身や、逆さまになったメデューサの顔が土台になってます。暗い中、魚が泳いでる。 |
|
|
|
|
| そして寝台列車でアンカラへ移動です |
| 観光巡りを終えて夕食後にハイダルパシャ駅へ。寝台台列車に乗ったのが22時過ぎだったかしら。今回の旅は出発前からトリプル不調(血圧、頸椎圧迫、鼻の炎症)のまま出かけたので、意識も多少朦朧、記憶も曖昧です。 |
|
|
|
|
駅での長い待時間に地元の人懐っこいオジイサンが話しかけてくれましたが、私は朦朧。連れ合いと盛り上がってました。水兵だったか、大昔に日本、韓国に来たらしく、地名などよく知っていたようです。
さて、寝台列車のコンパートメント。2段ベッドの二人部屋、狭いですが落ち着きます。時間になると乗務員が来てベッドメーキング・・・といっても、ベッドをパタンパタンと拡げるだけですが。 |
|
|