徳島 中津峰
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行程  2016年12月25日
   徳島市内=金谷=如意輪寺第二P-如意輪寺-参道-山頂-いやしの道 入口-如意輪寺第二P
    ~8:30              9:00-9:15        10:07-10:22  11:26     11:59
   =如意輪寺第一P-弥勒の滝-如意輪寺第一P=徳島市内
        12:05     12:15       12:30     

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します


カシミールとGPS
2005年に四国での山歩きを始めてから気になっていた中津峰山山頂の神社、天津神社の謂われが気になっていた。
中腹の如意輪寺の奥の院だろうかとも想像していたが、調べを兼ね今年の山納めに中津峰山へ。


天津神社の石積み

天津神社
防風のためと思われる立派な石積みに囲まれた天津神社。
10年ほど前から中津峰山に行き始めて、その成り立ちが気になっていた。 祭神とか縁起などの記載はなく、神社の横に多家良町氏子と彫られた石碑があるのみ。
立派な石積みに比べると少し簡易的な建て方の神社だが、行き始めてから数年後に地元の方が改築もされました。
この日は中腹の如意輪寺の第二駐車場まで車で行き、本堂・不動堂・太師堂に参拝。久し振りに表参道を使って山頂へ。早い時間帯だったので、中津峰愛好グループの方達もおられず、・・・

第二駐車場から本堂へ

本堂

山頂ベンチ

無人の山頂

高丸山方面

いやしの道の入口
・・・、山頂からの展望ももうひとつ。そそくさと、いやしの道から下山。
いやしの道の入口からは如意輪寺の駐車場までは林道歩き。
林道には一軒の農家があり、徳島~小松島の海岸を見下ろす好展望の場所に田、畑を作られています。田を囲んだフェンスには徳島市の害獣対策実証事業の看板。イノシッシと書かれている。

林道に害獣防止柵

一軒だけ農家

弥勒の滝 設置の看板

弥勒の滝
如意輪寺の第一駐車場まで車で移動し、これまた気になっていた「弥勒の滝」を探索。
少し荒れた山道を下っていくと大きな岩壁に石造りの弥勒菩薩像が二体。残念ながら滝は涸れてしまったようだ。すぐ横には音を立てて豊富な水が流れているので、どうも水路が変わったらしい。
地元の方が昭和61年に弥勒菩薩像を安置し、それを受けて「弥勒の滝」という名前になったのかとも?
本題の山頂の天津神社です。
 ネット情報Wikipediaによると、
   「天津神社は”天津神の社"という意味であり、いずれかの天津神を
    祀る神社に天津神社という社名がつけられていることが多い。
    よって祭神は一定ではなく、それぞれの神社も直接の関係はない。」
   と紹介されています。

如意輪寺 駐車場にある絵地図に山頂神社

如意輪寺境内の
三十八社
如意輪寺の情報を調べていると、ついに以下の記述を発見・・・
  中津峰山山頂(天津神社)と如意輪寺にまつられる総鎮守の三十八社大権現は九曜二十八宿の星々と地元の神の三十八の神々を合祀した神で、如意輪観音の本地とされる。やはり、神仏習合時代には如意輪寺の管轄神社だったのかも。
九曜の星はともかく三十八もの神々とは?
別の情報に、
  「天上•地下の神ニ柱、常世としての八方の神八柱、年量の神ニ四節の神ニ十四柱、及び鍛治の神より生ずる鏡神、兵器を司る主神のニ柱、更に酒造神の合計三十七神に加え、津ノ峯の幸魂、日峯の奇魂を持つ大己貴神を併せ持った大物主神を祭ることで三十八神を祭祀している。」 との記述も。うーん、さっぱり理解できない(^_^;)。
 ===遂に阿波三峯(津乃峯、中津峰山、日峯山)まで出てきた===
確かに、如意輪寺の第一駐車場にある絵地図には、山頂に天津神社(三十八社)とも書かれているし、実は如意輪寺境内の本堂〜大師堂の間にも三十八社がありました。
想像ですが、明治の神仏分離令で如意輪寺の三十八社大権現は撤去され山頂に移り、名称も天津神社に変更されたのかも。その後に、また三十八社として如意輪寺の境内に戻ってきたのかも。
 里人はこの中津峰を全ての神を集めた神社であると伝え、この峰を「三十八仙山」と呼び、神社を「三十八社」と呼んでいるのだという記述もあります。