讃岐山脈(阿讃山脈)大山の観音道
夫婦で山歩きホームページトップへ

行程  2013年4月11日
 徳島市内=和泉寺-観音道-大山-大山寺-観音道-和泉寺、岡田製糖=徳島市内

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルアースとGPS

カシミールとGPS
孫達の訪問で暫く休んでいた山歩き、約ひと月ぶりに阿讃山脈(讃岐山脈)の大山に行ってきました。
登山口の和泉寺の近くに車を置かせてもらって参拝。道を少し戻って、害獣対策の電気柵、架設橋をまたいで観音道へ入ります。ネット知人のアトミックさんなど地元の観音道保存会の方々が、登山道の整備、籔の苅込、仮橋の設置、道標付けなど復活された道です。


和泉寺

観音道 入口

青の洞門
観音道に入ってすぐの脇道に「泉谷 青の洞門」、明治初めに地元の石工親子が飲みで岩盤を掘り抜いて、村に通水するための隧道を造ったそうです。
当時の水路を探してみましたが、周囲の崩れなどで判然としない状態になっていました。
この観音道に33体の観音像が置かれたのは江戸時代後期と推定されているそうですが、果樹園の造成とか土砂崩れで流失してしまったそうです。
保存会の方々は流され土に埋もれた観音像を探してコース沿いに復活されていますが、一部は行方不明だそうです。

観音道

谷を挟んで牧場

観音像

山頂

大山寺

大山寺 薄雪像
観音像1番のところで大山寺と山頂への道が分岐。まずは山頂を目指します。山頂でお弁当の後に、大山寺へ。
義経が屋島へ平家追討に向かう折、寺に立ち寄り戦勝祈願。駿馬「薄雪」を献納したとか。
この大銀杏は弁慶が兵糧の中のぎんなんを一粒撒いたのが四百年の刻を経て成長したものだという。そこから「弁慶銀杏」と呼ばれるようになったという話があるそう。
また、1月の第3日曜日に力もちの行事が行われる。三方にのせた巨大なお餅を両手に持って歩く距離を競う。総重量は男性用では約160㎏、女性用で約50㎏だそう。

弁慶銀杏

力もち像
途中の山道で見かけた花達。
出先で作成中で、花の同定はまた後ほどm(_ _)m。
登山口の和泉寺の近くには和三盆糖を製造している岡田製糖所があります。
和三盆糖・・・「竹糖」(通称、細黍とも言う)と呼ばれる砂糖黍を原材料に、手作業で作られている数少ない国内産の砂糖です。徳川吉宗がサトウキビの栽培を奨励すると、高松藩が特産物・財源確保を目的として呼応。
その後、徳島藩でも栽培。しかし精糖の方法は秘伝扱い。高松藩と徳島藩はほぼ同時期に精糖方法を確立(高松藩から盗んだとの話あり)。徳島県で生産されている和三盆を阿波和三盆糖、香川県で生産されている和三盆を讃岐和三盆糖と呼びます。
現在の代表的な阿波三盆糖の製造元がこの岡田糖陶所。見事な庭を公開されています。