神奈川 大山
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行程  2012年11月5日
 川崎市内=伊勢原=大山ケーブル駅-(女坂)-大山寺-阿夫利神社下社

 -(男坂)-追分-大山ケーブル駅=伊勢原=川崎市内
 

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

カシミールとGPS

江戸時代の絵図
首都圏に在住の頃には100回以上は訪問した大山。ヤビツ峠コース、日向薬師コース、表参道コース、北尾根コース等々色んなバリエーションを楽しみました。四国に移ってからも機会あれば参拝を兼ねて訪問、2005年から今回で5回目かな。
今回は時間が無くて、表参道を阿夫利神社の下社までです。
 伝承だと、 大山は奈良時代に良弁僧正(東大寺、子供の時に相模から鷲にさらわれた)が開山。
その後、山頂に祀られた石尊大権現と中腹の不動尊を本尊とする大山寺をあわせ「雨降山大山寺と号し」真言密教の修験道場として発展。また、10世紀初めの延喜式神名帳には、阿夫利神社が相模国十三の一社として記載されていて、平安時代には神仏習合による信仰場所を形成。

 江戸時代には春日局の大山詣でが有名だが、山頂に石尊大権現を祀り、中腹に別当寺雨降山大山寺の信仰、そして麓の御師による強力な布教活動で隆盛を極めたらしい。いまも、あちこちに大山詣でのための大山道の道標が残されています。
 当時の大山詣では中腹の大山寺(今の阿夫利神社 下社)の参拝だったようですね。ここから山頂への登り口には木戸(登拝門)があり常時は閉鎖されていて、お花講(7/27)だけ開門されていたとか。もちろん女人禁制で春日局の大山詣でも今の下社(当時は大山寺)までだったのでしょうかしら。

 明治になって神仏判然令による神仏分離、廃仏毀釈により、石尊大権現は大山阿夫利神社と改称され、山頂の石尊社は本社(阿夫利神社上社)、大天狗祠は摂社奥宮、小天狗祠は前宮となり、中腹の旧大山寺不動堂(本堂)には新たに阿夫利神社下社が建立された。そして、大山寺不動堂は女坂の中ほど旧来迎院に移築され、明治17年に雨降山大山寺が再び姿を見せたとの事。


今年 皇太子様の歩かれたコース

十月桜?
今年の5月に皇太子様が大山に登られたそうです。表参道から女坂を通り大山寺に参拝。その後、下社に出て表参道を山頂へ。下山は見晴らし台を経由して日向薬師というコースだったようです。
表参道(こま参道)に10月桜?が咲いていました。
追分から女坂と男坂に分岐します。女坂には七不思議があります(^_^)。

七不思議の1
弘法の水

七不思議の2
子育て地蔵

七不思議の3
爪切り地蔵

七不思議の4
逆さ菩提樹

七不思議の5
無明橋

七不思議の6
聴音洞

七不思議
の案内

以前の写真から
眼形石
ありゃ、七不思議のひとつを撮し忘れました。どうも眼形石を落としたようです(^_^;)。
明治になって移転された大山寺。
ここの紅葉はいつもかなり遅いです。
途中、追分から下社を結ぶケーブルカーと出会って、しばらく登ると下社です。
下社の紅葉はだいぶ進んだようです。ここからの湘南そして相模湾の展望ですが、生憎の曇天で明瞭ではないものの江ノ島も見えます。

新装の登拝門

2009年の登拝門
下社から山頂への登山口にある登拝門が新しくなっていました。下社の改装の一環なのか、皇太子様の登山に合わせての新装なのか?
明治以降に山頂が開放されるまではこの門が閉じられていた当時の伝統を残すべく片開きにしているとか。
今回は時間が無くて山頂も見晴台方面も諦めて男坂を下山です。男坂に入ると大山を管轄していた八大坊の座敷跡があり、追分社を通り、豆腐料理、土産物店の並ぶこま参道を下ります。

八大坊座敷跡

追分社

こま参道
こま参道の踊り場には石段の数を示す大小のコマの絵が描かれています。「大山こま」は江戸時代から続く縁起物の土産で有名です。語呂合わせみたいな「独楽を回すと金運がついて回る」ことから、商売繁盛、五穀豊穣、家内安全などの縁起物らしい。
回すと上下がひっくり返る小さなコマを買って帰りました。