徳島 川井峠、三木家、貢公園
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行程  2012年4月21日
 徳島市内=神山=川井峠=川井峠-貢公園=川井峠=神山=徳島市内

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルアースとGPS
天気が崩れるとの予報で今日は大人しくスポーツクラブかなと諦めていましたが、なんと9時・10時になっても青空。うん、これなら月曜日に予定してた川井峠とその奥の三木家住宅のしだれ桜観賞を前倒し変更だ!!と11時に急遽出発。
徳島県中央の山深い場所にある川井峠は標高が約700m、更にその先の三木家住宅はいったん下りまた登り標高が約600m。市内からほぼ60~70Km、途中からは狭い山間道路なので走行2時間弱かかります。


川井峠

三木家からの帰りに
峠下から
まずは川井峠の白い神様の境内にある枝垂れ桜です。ここは桜見物の名所になっていて県外からの観光客も多く、シーズンは渋滞します。今日も交通整理の方、警察も出ていましたが、流石にもう終盤だし、雨模様の天気のため車は少ない。今回は三木家を予定なので、そのまま通過です。白い神様の説明石碑がありますが、もうひとつ意味が汲み取れません。白い神様とその落とし子が一体となり、この地が気に入られた白い神様の指示で建立されたとなっています(平成4年)。
川井峠から更に西へと下ると大きな枝垂れ桜を育てられている民家があります。ここの枝垂れ桜も有名で観光バスも来るほど。この日はもうピークを過ぎてしまっていて、写真は少し小さな方の枝垂れ桜です。芝桜との取り合わせがきれいです。

枝垂れ桜と芝桜

三木家住宅

資料館

麁服を織る衣装
さて、更に国道438号を西に進み、途中から国道432号に分岐、途中から林道を登ってくと「三木家住宅」への標識が出てきます。
この三木家住宅、徳島に移ってからいつかは行きたいと思っていた由緒ある国の重文住宅です。
徳島最古の民家で江戸時代の初期に建てられたものらしい。現在も28代目のご子孫が家を守っておられます。

麻舟

機織り

麻蒸し桶


三木家の桜

前の庭

上からの眺め
三木家は古代から皇室の祭祀を司っていた忌部氏の末裔で、阿波忌部の当主だそうです。 天皇即位の大嘗祭に使われる麁服はこの三木家から皇室に届けられます。南北朝時代に途絶えたが、大正から復活しています。
忌部一族の方は全国に散らばっていますが、定期的に集まりも持たれているようです。講演会などもあります。忌部、斎部と書き方は色々。阿波忌部は南北朝時代に南朝方に荷担したようで、そのために力を失ったのかも。もっとも、更にそれ以前に祭祀を司る氏族として中臣氏(その後の藤原氏)との抗争で負けてしまったようです。これではならじと、本当はこうだよと斎部の人が平安時代に書いたものが古語拾遺だそうです。
更に余談(阿波方言:ソラととシモ)
6年前になりますが、徳島で使われている「地域を指す言葉、”ソラ"と”シモ"」の語源が気になって調べた事があります。
------調べて、以前にBLOGに書いた記事の概要------
 自分の住んでいる所より山の方を「ソラ」といい、反義語は「シモ」と言うらしいが、徳島独特の言い方なのか、漢字があるのかどうか、あるいは本当の意味は?と気になっていました。
 言葉に詳しい俳句の達人にも尋ねましたが、どうもはっきりとしません。ここで、インターネット検索のお出ましです。四国放送の阿波弁講座(徳島大学 総合科学部の仙波教授)に出ていました。「ソラ」とは吉野川の下流に住んでいる人が上流の地域を指して言う言葉だとの事。また「ソラ」に対して下流を指す言葉は「シモ」だそうです。
 どうも漢字は当てられていないようですが、徳島から国会議員になられているらしい遠藤和良さんのホームページに徳島の母校の校歌が掲載されていました。
     ♪千古の姿洋々と 天際(そら)に流るる吉野川 
     その雄大の精神(こころ)もて・・・・
「天際」と書いて「そら」と読ませているようです。更に調べると、なんと李白の漢詩に使われています。校歌の出所はこちらのようです。
 李白の漢詩では、友人が帆掛け船に乗って長江を下っていく別れを歌い、そこで使われている「天際」は、下流の遠く地平線に消えていく大河の流れをイメージしているようです。 どうも阿波弁の「ソラ」とは無関係。

 その後、暫くしてローカル新聞の記事を見て「おーっ、これだ!!」と閃きました。
 古代より天皇即位の大嘗祭に使われる麁服を皇室に献上する忌部、その流れを汲む三木家。その三木家のある山の上の地名は「美馬市木屋平貢」ですが、貢となる前の旧名がなんと「空地(そらち)」でした。ここは山の上で、通称「三木山」とも言われるらしい
 そう、個人的な勝手な想像ですが、古代~中世に阿波の要であった忌部氏・・・三木家ですから、下々が三木家のあった空地に表敬訪問?する事を「そらへ行く」と言ったのではないでしょうか。そして次第に一般的に山の方へ行く事を指すようになっていったのではないかと想像を逞しくしています。
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 今回は、更に図書館に行き阿波弁の辞典「阿波言葉の辞典」や「徳島の方言」、「あわのおもしろ方言集」等を調べてきました。 これらの辞典には、さらりと
    シモヨリ:吉野川下流地域。言う所により指す所が違う。
    ソラ:吉野川上流地域。三好郡方面を指す。中流地域の人が言う。
といった紹介をしているだけでした。

八幡神社

三ツ木校跡

紅白の桜
三木家のすぐ上の丘に八万神社、その横には貢公園があります。
ここには明治12年に開校した小学校が明治38年に移ってきた。昭和39年に焼失し翌年には移転したらしい。
かなりの山間部ですが、人口も多かったんでしょうね。
貢公園の桜。数組の家族連れが遊びに来ていました。静かな穴場ですね。
美郷そして美郷から大阪に出ておられる家族の方と歓談、採取されたワラビをいただきました。

貢公園

貢公園

貢公園