徳島 中津峰
夫婦で山歩きホームページトップへ

行程  2012年1月23日
 徳島市内=金谷 駐車場-(一風新道)-平石分岐--山頂--(いやしの道)(やかん道)
   7:30     8:00               10:00   10:30-10:55
 -金谷=徳島市内
  12:15

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

カシミールとGPS
またもや手軽にアクセスできる中津峰です(^_^;)。
昼からの所用のため、いつもの中津峰行きよりは朝早く出て、一風新道から山頂へ。そして「いやしの道・やかん道」を下山です。
私は9日前に「いやしの道」から山頂、林道をぐるっとまわってから「やかん道」を下山しましたが、相棒は14日ぶりの山歩きです。
沿面距離が約11Km、累積標高差が約900mを登りで2時間半、下りで1時間15分ほどとまあまあ順当かな。


首なし地蔵さん

今日のヤブツバキ

昨年末、
花はもっと少ない
一風新道口から約1時間、首なし地蔵さんを過ぎて、ヤブツバキの林。例年、ヤブツバキの花の多いコースなんですがこのシーズンは花が少ないのか遅れているのか。昨年の12月中旬のときよりは花が増えていましたが、例年に比べて格段に少ないようです。
平石山の分岐を過ぎて、お気に入りの石庭です。この先の展望地から南の方、光っている海は太平洋か?

平石山分岐

お気に入りの石庭

勝浦、遠くに太平洋?

天津神社

山頂から大川原高原

山頂 ベンチ
山頂 天津神社に参拝してからコーヒーブレイク。朝早かったので、ベンチには誰もおらず静かです。

今回も歩きながら瞑想ならぬ迷想。因果の法則で貫かれた時空連続体としての自分をなんとなく宇宙の始まりから終焉まで夢想しながら歩いていました(^_^)。
 このやり方って、最近知ったヴィパッサナー瞑想法では妄想として抜け出さないといけないみたい(^_^;)。妄想、幻想に嵌り込まず意識を明白にして具体的にいまの身体状態を隅々まで認識する状態にもっていかないといけないようです(^_^;)・・・まあ、良いか。
 さて量子揺らぎによって何もないところに突然に宇宙の芽が生まれ、インフレーションによって拡がり、そしてビッグバンと続いて素粒子の誕生。ちょっとした不均一性と重力によって水素が集まり巨大な原始星の誕生、核融合の始まりによって重元素の誕生。ついには重力に押しつぶされて超新星として爆発し、原子を宇宙に大放出。これらが、あちらこちらで再集合して恒星そして銀河が誕生。その中で適度の大きさをもった恒星とその周りを周回する惑星で生命が発生・・・・これが、いまの宇宙物理での仮説ですよね。
最初の量子ゆらぎによる無からの宇宙の芽の生成はもちろんですが、どうもインフレーションあたりまでは私達の認識できる因果律が成立しているのかどうか? ですので、迷想で遡るのはビッグバン以後にしときましょう。でもって、次々と誕生した原子核が原子となり、ついには有機物となり宇宙の全域に拡がる。とある惑星では、その有機物が集合しはじめ巨大分子化していきます。その巨大分子となった有機物がいつしか、自分の外側・環境との相互作用で自律運動を始め、それらが烏合集散しているうちにDNAそして細胞ができあがってきました。
 でもって、面倒だから途中は省略して(^_^;)、その細胞がまた集合化していくことで、最初の生物としての原始的なバクテリア状のものが誕生。お互いに喰ったり喰われたりする中で、協力した方が楽ちんだと気づいた連中が集合。集合体の中で次第に各細胞の役割分担ができあがってきて生物となっていきます。この後は、やはり外界との相互作用のなかで変化していく進化の歴史にしたがって遂には人間に、そして私になりました。
そう、少なくとも原子の誕生から私の構成物はずーっと連続してきています。その連続体としての自分を絵に描きます(妄想ですが)。

 続いては、ここまでの時空連続体としての自分の流れを迷想・妄想したら、次はこれから先へですね。自分の死から宇宙の終焉まで見ないわけにはいきません。
一足飛びに宇宙の終焉。あらゆる動きの止まる熱死になるのか、再び収縮してビッグバンとは逆のビッグクランチになるのか、最近の宇宙物理でいわれている加速膨張で素粒子まで分解され拡散してお終いなのか、どうにも判らずです。残念ながら終焉までの映像は描けませんでした。まあ、最初の量子ゆらぎによる無からの誕生を頭に描けないのと同じですね。

 さて、もとに戻って目の前の死ですね。膨大な数の細胞の集合体である人間、その人の包括的な本当の意識?はなんだろか、寄り合い所帯である身体の全細胞による集合意識なんでしょうかしら。ただ、それは表には出てこない無意識レベルで、意識レベルで認識しているのは脳の活動なんでしょうね。
いずれにしてもこうした動きが次第に衰え、衰えることの痛みを感じ悶えながら順次消えていくのが死なんでしょう。おそらく一番最初に消えていくのが脳細胞の活動停止による表層意識。そして次第に各細胞が寄与する無意識の意識も消えていきます。
 ところで上座部仏教でもチベット仏教でも輪廻転生を信じてますね。意識(最近は科学的な色づけしようと精神エネルギーとも言っているようですが)が、物体の活動とは半独立して存在していて、SFでよくある精神寄生体のようにその時に生まれそうな生物に乗り移るといった感じの事を言ってますね。放送局が送信機で電波を発信しているが、その送信機が沈黙しても電波は存在すると言ってるのと似たような感じかな。
確かに脳活動による表層意識、全細胞の集合意識のエネルギーは存在はするでしょうが、電波と同じように全宇宙に薄く薄く拡散していってしまうものでしょう。ただ、量子ゆらぎによる偶然の宇宙の芽誕生と同じようなレベルではあろうが、波動として拡散しきってしまう前に粒子として収縮する場合もあり得るか。光が波動として伝播するが、ある条件下では光子として観察されるのと同じかな。不幸にもそんな目にあった精神粒子は乗り移りもあり得るかも(転生?)。ほんとかね(^_^;)。

 全くの妄想はおいておいて、取り敢えず身体を構成する全細胞は分解し、分子あるいは元素レベルまでバラバラになってしまうでしょうが、これは宇宙の終焉まで存在形態を変えながらも継続していくでしょう。自分の時空連続体にこのイメージを繋いで絵にするのはなかなか難しいです。

とまあ、こんな事を迷瞑・妄想、考えながら山を歩いてました。