北アルプス:立山
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行程  2011年7月24日~27日
   7月24日 徳島=富山駅、富山駅周辺の散策
   7月25日 富山駅=室堂-浄土山 展望台-浄土山-一の越-雄山-大汝山
   7月26日 大汝山-雄山-一の越ー室堂-室堂散策=富山駅
   7月27日 富山駅=丸岡城=徳島

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

カシミールとGPS

カシミール断面図
11年前に立山連峰の雄山と浄土山に来たとき、眼下に拡がる緑の絨毯のような五色ヶ原に感激。もう一度と山貯金をしていました。雄山から五色ヶ原そして黒部に出て室堂に戻るコースを計画していたが、どうも長くなりすぎる。そこで今回は浄土山、雄山、最高峰の大汝山から富士の折立-真砂岳-別山-別山乗越と縦走し室堂に戻る立山三山縦走に変更。ミク友と出かけましたが、天候不順で大汝山で縦走を断念して室堂散策に変更です。

7/24 徳島=富山駅

富山駅前

路面電車

トロリーバス
まずは富山駅のホテルに宿泊。室堂直行バスの往復券がついて格安です。
夜行でアクセスあるいは車で仮眠して山歩きという設定をされる方も多いですが、軟弱山歩きの我らは下で前泊、帰りも下で宿泊のパターンが多いですね。
その日は街中の探索です。
富山城跡を見て公園を一周。
レンタル電動自転車がありましたが・・・使用料金がちと高いです。
駅前の郵便ポストに可愛い富山の薬売りが立ってます。

堀と一部復元の城

レンタル自転車

薬売りの立つポスト
7/25 富山駅=室堂-浄土山 展望台-浄土山-一の越-雄山-大汝山
===アルペンルート===

遠くに剱岳

称名滝(日本一の落差)
富山駅前のホテル、素泊まりですが室堂直行バス往復(5700円)がついて約1万円と格安です。
山に入るときは携帯でポイント天気予報が見られ、雷メールなども受け取れるウエザーニュースと契約しています(月100円)。で、予報だと大汝山は雨と風、雷警報も出ています。
さて、室堂散策で終わってしまうのかと心配しながら出発。計画では天狗平で下車して室堂まで歩く予定だったが、少しでも早く稜線にあがろうと終点の室堂まで。
このアルペンルート、5月の開通時に高い雪の壁の中を走行するので有名ですね。長野側かの扇沢からトロリーバス、ケーブルカー、ロープウエイ、トロリーバスと乗り継いで室堂に入るコースは途中の観光ポイントが素晴らしいが、以前にこのコースでアクセスしたときは乗換えが大混雑。山歩きには時間が読めず不安です。予約で直行できる富山側のバスを利用しました。

ソーメン滝

天狗平
===室堂===
凄い人数
===室堂から浄土山===
室堂から。一の越・雄山への道から分岐して浄土山への登山道に入ります。
霧と雲で展望はもうひとつですが、次第に広々した雪渓風景がひろがってきます。ここの雪渓は北アルプス(そんなに知らないですが)でも有数かな。大雪山系の雪渓に似てるかしら。
途中で愛想良い雷鳥の親子に遭遇。まるで観光大使のように本の近くまで寄ってきます。冬衣装じゃないので草に紛れてしまいますが、暫く撮影タイムです。
さて浄土山手前の展望台。ガスで展望は皆無。眼下に広がる五色ヶ原を見たかった。

雷鳥

雷鳥

展望台

浄土山登山口

ガレを登ります

北峰 軍人霊碑

南峰 富山大施設
展望台から浄土山登山口分岐に引き返し、更に登ると浄土山の北峰。軍人霊碑があります。双耳峰らしくて南峰には富山大の施設。ここでお弁当です。
===浄土山から一の越===

登山道から雪渓

なだらかな尾根道

なだらかな尾根道

なだらかな尾根道

一の越山荘
ここまでの花達です(^_^)

シナノキンバイ

チングルマ群生

ハクサンイチゲ

チングルマ

アオノツガザクラ

ベニバナイチゴ

?ユキノシタ?

クロユリ

ミヤマダイモンジソウ

ヨツバシオガマ

ミヤマリンドウ

ハクサンフウロ

エゾシオガマ

イワツメクサ

ミヤマクワガタ

ヨツバシオガマ

ウサギギク

ムカゴトラノオ

イワギキョウ
===一の越から雄山===

集団登山、見えるかな

斜面を見下ろすと

山頂の社務所
平日の昼も過ぎて少し遅めの時間帯。とはいえ家族連れのハイカーから学校登山のグループも多数。
ここのガレの斜面はちと怖い。スリップして怪我した人もいたが、馴れない歩きで石を落としてしまう人もいます。
社務所から少し先が雄山の山頂と本宮祠、途中に大汝山への縦走路が分岐します。
ガスで展望はなく、暫くすると雨に。頂上祠でのお祓いは社務所に変更です。

社務所から雄山頂上

雄山頂上、大汝山分岐

頂上本宮

雄大な雪渓
===雄山から大汝山===

雨具をつける子供達

皆さん一の越に下山
折角なので社務所での祈祷を待って暫く滞在。そのうち雨も本降りになってきました。
ここから一の越まで下山するより大汝山が近いと、そのまま前進を決定。縦走路に入ると一段と霰まじりの雨が激しくなり。社務所に戻って雨具のズボンをつけるフル装備に。岩々した縦走路が沢のように水が流れはじめました。同じ頃に一の越に下山した子供達はたいへんでしょう。
さて、雨具装着、ザックカバー使用だが、びしょ濡れになって休憩所に到着。ここは室堂の雷鳥荘の経営、知る人ぞ知るでシーズン中は宿泊も可能。宿泊は我々3人だけ。シャイだけど親切な小屋番リーダー、世界を歩くトレッカーの若いスタッフのふたりがファミリーに対応してくれました。濡れた雨具、ザックの中も拡げて乾燥させてくれ、なんと濡れた軍手を朝までに乾かしてくれていました。

大汝山 休憩所

乾燥中

夕食です

小屋の周り散策

雪渓で水造り

ミク友撮影の日矢
夕方になって雨は一時やんだがガスは抜けず。展望はなしです。スタッフの話ではここからの剱岳そして白馬岳方面などの展望とご来迎はなかなかのものらしい。夜になってまた雨が、携帯ウエザーニュースでは明日も雷警報、雨。風も10mらしい。明日の縦走は断念しました。
7/26 大汝山-雄山-一の越-室堂=富山駅
===大汝山===
翌日、雨は降っておらず、予報も多少落ち着いてきたが、既に朝食と出発時刻も遅らせたので、やはり引き返す事に。縦走できたかも判らないですね、付き合わせてごめんなさい。

霧の中の休憩所

大汝山 山頂へ
ここが山頂
山頂は岩
===雄山、一の越===

雄山 山頂

一の越から

一の越
大汝山から引き返して雄山。そしてガレの急斜面を一の越へと下山。悪天候で雄山にご来迎を見に来た人はおらず閑散としています。そろそろ学校登山の集団が一の越から上がってき始めています。一の越は集団で溢れていましたが、遅い組はまた下山時に雨に降られそう。先生方はたいへんだわ。
===一の越から室堂===
一の越から室堂への下山道は整備されているが、何度か雪渓横断があって立ち往生している観光客もおられます。
通行が多い場所でもあるせいか少し土埃などで表面が汚れ気味だが、スプーンカットがはっきりとした大きな雪渓です。
前に来たときはそれなりにいた夏スキーをする方を今回はほとんど見かけずです。
===室堂散策===
室堂に下山して散策を開始。山歩きで来ると室堂散策はまずしないかな。
みくりが池、地獄谷、雷鳥沢ヒュッテ、雷鳥荘をまわって室堂ターミナルへと戻りましたが、それなりにアップダウンもあって歩き甲斐がありますね。三山縦走で雷鳥沢キャンプ場に下山する予定だったから、ターミナルまで結構たいへんだったかも。

みくりが池

みくりが池

地獄谷入口
地獄谷、ここはきつい。硫黄で頭と喉が痛くなります。誤って深く吸い込むと咳が止まらない。よく通行させますね。
地獄谷を抜けて雷鳥沢ヒュッテ、キャンプ場へ。ここに新室堂乗越から下山してくる予定だった。かなりな急斜面に見えます。
そして雷鳥荘に寄って大汝山休憩所でお世話になったお礼と昼食。

雷鳥沢ヒュッテ

雷鳥沢キャンプ場

雷鳥荘

リンドウ池

最後の登り(^_^)

雄山、一の越
リンドウ池を回って登り返すと室堂ターミナルです。
雷鳥荘に荷物を運ぶ大勢のボッカさんとすれ違い。何度も往復しているようです。雷鳥荘は暫く満室のようだから食材などが多量に必要なんでしょう。
16時の高原バスで富山駅へと移動。同じホテルで一泊して帰宅です。
この日の花達です

クモマグサ

キバナノコマノツメ

イワカガミ

コバイケイソウ

イワイチョウ


ミヤマアキノキリンソウ

ミヤマカラマツ?

ハクサンシャクナゲ

タテヤマリンドウ
7/27 富山駅=丸岡城=徳島へ

丸岡城 天守

天守から
帰りに高速を途中下車して立ち寄った丸岡城。福井県坂井市にある日本で一番古いお城とのキャッチコピーのお城です。
変わったお城で石葺きの瓦、そしてなんと石製の鯱が展示されてました。本来は木彫り銅板貼りだったらしいが、太平洋戦争中で材料が入手できなかったとか。
石棺展示に継体天皇ゆかりの地と書かれてました。そう26代の継体天皇は福井が出里。継体天皇の御子、椀子(まりこ)皇子がうぶ声をあげたという伝説にちなんで、椀子岡と名づけられ、それが丸岡と呼ばれるようになったと地元の伝承には書かれてます。
継体天皇は応神天皇の5世という伝承ですが、25代の武烈天皇の崩御で朝廷が混乱。これに乗じ越前・近江の勢力が侵入し20年に亘る抗争のうえ侵入勢力が勝ったともいわれてます。

石の鯱

石棺
ここでもうひとつの拾い物。日本一短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の地でした。
徳川家康の重臣「本多重次」が天正3年に長篠の戦いの陣中から妻にあてて書いた手紙だそうです。そして、この「お仙」は当時幼子であった嫡子仙千代(成重・後の丸岡藩主)のことだとか。
私は、この逸話は戦場に駆り出された足軽が故郷の妻に書いた手紙だと思い込んでました。

残念ながら、悪天候のため予定していた立山三山縦走を断念し、五色ヶ原と剱岳の展望も得られなかった。
次の機会には五色ヶ原ピストンに行きたい。前から暖めていた計画は五色ヶ原から黒部にまわるコース、これは長くなるのでピストンが良いかも。実際、今回はピストン組の方々に出会いました。そして、やはり剱岳を展望する縦走コースも魅力です。