山口:秋吉台・秋芳洞、角島、青海島、萩 |
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行程 2011年6月7日、8日、9日
6/7 徳島市内=瀬戸大橋=山陽道・中国道=美祢IC=秋芳洞
6/8 秋吉台=角島大橋=角島燈台=青海島=古萩-萩城下町=古萩
6/9 古萩=笠山=松蔭神社-旧松田村=防府IC=山陽道=瀬戸大橋=徳島市内 |
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コースと概要 以下、クリックで地図、写真拡大します |
今回の全コース |
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二日間だけ梅雨の晴れ間になりそう。じゃあ行こうかと前日に出発を決定。
これまで行った事のない秋吉台・秋芳洞、そして明治維新の起爆剤ともいえる萩。いつかは行きたいと登録してあった山旅貯金から資料を取り出し、宿も確保していざ出発。
どうせ行くならと、途中に角島大橋を渡り、海岸線を走って青海島にも寄りましょうと欲張りな計画です。 |
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こちらは、青海島を出て萩市に入った後の行程地図。
まずは萩城跡と上級武士などの城下町、古萩を散策。約4Kmを2時間寂。
翌日は日本一低い火山といわれてる笠山を訪問、日本海に浮かぶ萩六島を眺めた後、松蔭神社、松下村塾などい旧松本村を約4Km、3時間弱の散策。 |
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○6/7 秋芳洞~秋吉台 |
宮島SA |
SAから宮島遠望 |
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こちらは秋吉台への移動途中、広島の宮島サービスエリアです。
高台から海を挟んで宮島が見られますが、生憎のガスでボンヤリとしています。
備え付けの望遠鏡では弥山の山並みの下の方に大鳥居が見えますが、写真では無理かな。 |
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予報では天気がよくなる明日に秋吉台ウォーキングはまわして、今日は秋芳洞に入ります。
入口で迎えてくれた河童の像。雨乞い祈願の禅師カッパだそうです。
きれいな水でカワニナが群生、蛍も見事だそうです。 |
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秋芳洞 入口回廊 |
青天井付近 |
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入口の回廊を通り大きく口をあけた洞窟の中へと入っていきます。すぐ大きなホールになっていて、広い歩きやすい遊歩道が奥に延びています。すぐ横にはきれいな水も豊かに流れています。
中は意外と明るい。今年の4月に全照明がLEDになりリニューアルオープンされたそう。省エネと灯りによる生態破壊の抑制のためらしい。 |
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黄龍あるいはバムッカレのような石灰の棚田です。百枚皿というらしい。水が豊かに流れていると思ったが、実は上の施設による汚染とか渇水も問題のよう。観光客による植物持ち込みと人工照明で苔が生えたりの問題もあったらしい。 |
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百枚皿、そして千町田の水が不足で実はポンプで流しているとの指摘も(ほんとかどうか未確認)。確かに他の鍾乳洞と異なり、上からポタポタと落ちてくる水滴がありませんし、遊歩道もほぼ乾いています。 |
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大仏岩 |
黄金柱 |
巌窟王 |
クラゲの滝登り |
五月雨御殿 |
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緩やかな勾配の遊歩道を黒谷口に登っていくと3億年のタイムトンネル。地球誕生~人の誕生までのアートパネル回廊になってます。 |
石筍と鍾乳石 |
タイムトンネル |
カンブリア紀かな |
人による狩り |
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展望台から |
実は翌朝の写真 |
この日の夕食 |
うーん、沢ガニ(^_^;) |
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少し戻ってエレベータで地上往復。少し歩くと秋吉台の展望台になっています。この日はすぐ近くのロイヤルホテル泊。 |
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○6/8 秋吉台~角島大橋~青海島~萩城下町 |
秋吉台から日本海の角島へ。角島大橋、白い砂浜とエメラルドグリーンの海・・・ロケ地としても有名。 |
角島大橋(2000年完成) |
きれいな海岸 |
角島燈台 |
燈台の上から |
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金子みすゞ記念館 |
瓦ソバ |
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角島を出て左に日本海を眺めながら青海島経由で萩市へむかいます。立ち寄った青海島の突端を目指したが、特にこれといった見所もなくUターン。遊覧船乗り場近くの店で昼食・・・瓦ソバです(下関市の名物?)。近くの金子みすゞ記念館を見学。 |
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青海島は遊覧船で断崖絶壁、洞門、岩礁を眺めるのが観光の王道なんでしょうね。遊覧船乗り場の観光ショップに並ぶお店はガラタ橋の魚市場を思い出す雰囲気です。 |
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そして本命の萩に入ります。まずは城下町コースです。車を萩博物館近くの駐車場に置き散策開始。約4.2Kmを2時間弱。萩城の周囲で上級武士の屋敷町、城下町にしては幅広の直線道路の両側に立派な石垣と白壁の土塀が延びています。 |
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残念ながら明治になって城は壊されてしまって石垣と堀が残っているのみ。関ヶ原で西軍についたため広島城から萩城に移された毛利氏だが、幕末に藩主は萩城から山口藩邸に移ったらしい。で、第一次長州征伐で幕府に敗北し萩に戻ったが、薩長同盟、第二次長州征伐の年には山口藩邸に戻ったとの事。 |
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萩市の人口は江戸時代の半分に減少と地元の方が仰ってました。明治維新とともに東京へ出て行った方が多いだろうし、その前に山口の方へ移っていたのかも。
それにしても萩が有名なので山口に藩邸が移っていたなんて初めて知ったですね。 |
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高杉晋作の銅像の所で出会った地元の方から詳しくお話しを聞かせてもらいました。
東京におられる高杉晋作の子孫の方がこの銅像を造られたらしい。 |
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ちょっと外れた町筋に入ると、豪商の屋敷があります。 |
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城下町の散策を終えて、今晩の宿に入ります。格安プラン「フグコース」を予約してあります。 |
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○6/9 萩 笠山~萩 松蔭神社、松下村塾、旧松本村~帰宅 |
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さて、翌朝です。松蔭神社、松下村塾などのある旧松本村を歩く予定ですが、朝早いと施設が閉まっているだろうと笠山を観光することに。
笠山は標高 112m の活火山。火山として世界最小ともいわれてるらしい。頂上からは日本海に浮かぶ萩六島が展望できます。 |
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各島は噴火の年代が異なる火山で、噴火時は陸だったらしい。その後に海面が100mも上昇し島になったとか。5島は安山岩の溶岩台地だそう。笠島の麓に冷たい風を吹き出す溶岩の隙間、風穴があります。その横の明神池は噴火でできた池で海水と魚がが出入りするらしい。沖を流れる温暖な海流の影響で暖地性植物が多く、寒暖両帯植物が繁茂。 |
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笠山から旧松本村へと戻りまずは松蔭神社に参拝。境内に松下村塾の建物があります。
約4.3Kmを3時間弱で散策。 |
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続いて吉田松陰誕生地へと行く途中で玉木文之進旧宅を見学。あまり観光客は来られないそうで、家の中におられたボランティアの方から丁寧な説明を聞かせてもらいました。吉田松陰の叔父さんにあたる方で松下村塾の前身になる私塾を開かれたそう。 |
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吉田松陰 金子重輔 |
何故か高杉晋作草庵 |
坂下ると伊藤博文像 |
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坂を上り東光寺から回り込むと吉田松陰の誕生地、墓所、銅像のある団子岩。銅像は密航を企てたときの弟子金子重輔と二人。
坂を下っていくと伊藤博文の育った家そして東京から持ってきた別邸があります・・・ニコンの保養所になってたらしい。 |
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伊藤博文は農民の両親に連れられて萩に出てきたそう。父親が士分の永井家ついで伊藤家の養子になったらしい。写真のこの家で育って松下村塾に入塾。その後は志士として活躍、長州ファイブといわれる5人の仲間と明治維新前に長州藩の命とはいえ密航してロンドン大学に入学。
長州ファイブ:井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5人。 |
伊藤博文 旧宅 |
長州ファイブ |
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オランダ語ならまだしも英語なんてろくに辞典もない時期に果敢に幕府の禁制を破って留学・・・留学というよりは未知の場へ命を賭けた冒険の旅です。 実際、調べてみると上海に到着して、面倒をみてもらうジャーディン・マセソン商会上海支店の支店長に面会した際に話が通じなかったみたい。「お前達は何のために洋行するのか?」と聞いているらしいという事で、「海軍を研究する」と言おうとして、間違って「ネイヴィー」を「ネビゲーション」とやってしまった。ために航海術の修得かと思われ、ロンドンまでの間は、“航海術を学ぶ”ということで水夫と同格の扱いを受けて非常に困苦したとか。
それにしても、ロンドンで大学の勉強についていけて、なおかつ二人だけ緊急で帰国して外国船部隊による長州攻撃に対する交渉で通訳もしたとか。たいしたものです。 |
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道の駅 萩往還 |
松下村塾 モデル |
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2010年から無料化された萩有料道路。道の駅萩往還公園(現在は道の駅萩往還)があります。
なんとここに松下村塾の実寸モデルがありました。解説もあって、今の教室のような1対多数の講義ではなく、ひとりひとり個別の教育をしていたとの事。 |
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長年の宿題であった秋芳洞・秋吉台の観光と明治維新の源流のひとつ萩の訪問をできました。
秋芳洞は流石に大きい、ですが水分が少なくなっているのでは心配です。
萩では知っているようで知らなかった明治維新前の様々な事を教えられました。
幕末時の藩邸は山口市にあった、長州ファイブの存在、松下村塾の教育の仕方 等々 |
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