奈良 葛城古道
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行程  2011年5月15日
   徳島市内=南阪奈道路 葛城IC=名柄神社-葛城古道 後半部-六地蔵石仏
   =かもきみの湯=葛城IC=徳島市内

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグル-アースとGPS

葛城古道イラストマップ
地元のバスツアを利用、古代のロマンを求め奈良の葛城古道を散策。実は葛城古道の前半部分は3/13。予定していたが、東日本大震災の関係で急遽キャンセル。今回は後半部分のウォーキングです。 地元のボランティアガイドがついてくださって、説明を聞きながら約3時間ほどの散策です。熊野古道と同様にガイドさんの説明がないとなんの変哲もない里ウォークになってしまいます。

奈良盆地は日本の政治・文化の中心として早くから開けた地域。ここ葛城古道も卑弥呼の宮殿跡ではないかといわれてる纒向遺跡、7世紀になってしまうが高松塚古墳のある明日香村そして法隆寺のある斑鳩もすぐ近く。きっと、古代には顔に入れ墨、良くて貫頭衣を身にまとい裸足であまり背の高くない人達が闊歩していた道なんでしょうか。
古代、ここで勢力をふるっていたのが三輪一族と葛城一族。大和朝廷が成立する以前に葛城王朝を築いていたという説もある。高天原も旧名が葛城山だった金剛山の山麓にあったという伝承もあるとか。こうした地域にある「葛城古道、全長13Kmの古代のロマンを感じる散策路です。
現地ガイドさんによると、葛城は古代豪族、鴨族の発祥地。日本全国に鴨・賀茂・加茂など「カモ」の付く地名がたくさんあるが、その多くは葛城の鴨族が全国に広がった名残だとか。また、尾張氏の本拠地が葛城高尾張だという説も紹介されたなあ。
ともあれ、皇統初代から欠史八代までを葛城王朝とする説もなんとなくうなずける雰囲気です。大阪から金剛山・葛城山を越えて奈良盆地に入ると眼下に広い盆地が広がります。そして地形図を見る限りは水路も縦横・網の目のように走っています。南は熊野・高野、東には明日香村だの邪馬台国ではないかといわれている纒向遺跡があり、北に眼をやると斑鳩、飛鳥、平城はおろか京都は比叡山まで見渡せます。水利技術がまだ未熟な時代の稲作にもぴったりの地形。
邪馬台国も古事記の神話舞台も畿内とか九州とか少数説では阿波だとか尾張だとか色んな説がありますが、なるほど、ここが邪馬台国から大和朝廷の発祥の地だなと周りの雰囲気から自分なりに納得。
話はかわって、前から不思議に思っていたのは大和朝廷が九州からわざわざ奈良地区の盆地まで東征してきたは何故なのか、途中にいくらでも手頃な土地があるのに不思議でしたが、実は元からここにいて、狭い地域での争い事が神話になったとすれば納得です。でも、なぜ九州が出るくるのか疑問は残る。


堺屋太一 関係の家

堺屋太一 関係の家
まずはウォーキング開始をして、堺屋太一の生家と教えてもらった立派な屋敷の前を通り長柄神社へと移動。
でも後で調べると堺屋太一の生家は大阪市でした。ここは信長の時代に先祖の豪商が堺から移ってきた家らしい(笑)。
そして長柄(中柄)神社。祭神は大国主命の娘、下照姫命。なので別名が姫の宮とのこと。でも千木は垂直に切った男神の様式? 実は事代主命である長柄首の祖神が祀られていたとのもあるそう、そうだと男神かな。でも熊野本宮も千木の形はマチマチだった。

本殿の千木

本殿の屋根下

本殿

葛城襲津彦の邸跡

上田角之進の功労碑
続いては学校の校庭。グランドの向こうになにやら立て札が。ガイドさんによると葛城襲津彦の宮(邸)跡という立て札らしい。があったという標識が建っている。この方は、神功皇后・応神天皇の時代の伝説的な武将。娘の磐之媛が仁徳天皇のお后だそうです(皇室以外からの初めてのお后だとか)。
そして江戸時代の上田角之進の功労碑。水越峠に細工、水の流れを大阪から葛城に変えた功績らしい。
古代ひしおの電灯で造っておられる片上醤油の前を過ぎるといよいよ一言主神社です。

片上醤油

片上醤油近くのお屋敷

一言主神社

一言主神社

一言稲荷神社
大和朝廷が制圧する前のその地方の支配者、鴨・葛城一族の氏神とも言われています。雄略天皇と一言主の確執はなかなか興味深い。古事記(雄略<一言主)、日本書紀(雄略~一言主)そして続日本紀(雄略>一言主)と両者の上下関係が極端に変化している。
本殿横のお稲荷さんも「一言稲荷神社」でした(^_^)。
境内には樹齢1200年のイチョウ、万葉集の歌の石碑そして土蜘蛛塚など。
万葉集の「名を告げるうんぬん」の歌に出てくるのは葛城襲津彦、どうもよく判らない。そして土蜘蛛塚もなんだかねえ。こちらは謡曲「土蜘蛛」で源頼光との争いで、神武東征の土蜘蛛とは関係ないみたいだし??。

いちょう 大木

万葉集

土蜘蛛塚

コース案内

コース

綏靖天皇 宮跡?
コースの随所に案内道標があります。見つけられなかったが、QRコードも書かれていて案内を取り込めるらしい。
途中にあった第二代綏靖天皇の宮跡の石碑です。
コースも終盤、下に耳成山、畝傍山、天香久山を見ながら九品寺へ。

奈良時代に行基が開基、空海が中興したお寺だが、その後に浄土宗に改宗したとの事。阿弥陀如来坐像が国の重要文化財で鐘も奈良時代のものらしい。



大和三山

九品寺

奈良時代の鐘

千体地蔵へ

途中にも石地蔵

千体地蔵
ここの千体地蔵は有名らしい。南北朝時代に千早城の戦闘で亡くなった地元民の供養らしい。
いよいよコースも終盤、大和三山を眺めながら棚田の中を歩きます。
田のあぜ道には燈台のようなものが??・・・これ番水の時計といい、中には時計が置かれるそう。この時計により、当番の方が、一定の時刻になると、用水路の水門を開く方向を調整し、それぞれの田んぼに万遍なく、水が行き渡るようにするらしい。時計は入っていなかったが、必要なときに持ってくるとか。

番水の時計

下には大和三山

六地蔵

鴨山口神社
そして終点の六地蔵と鴨山口神社。道にどーんと居座ったこの六地蔵、室町時代に土石流で流れ着いたものに彫ったそうです。
鴨山口神社の祭神は大山祗命・大日霎貴命・御霊大神・国常立命。