徳島 中津峰
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行程  2010年10月7日
   徳島市内=金谷-(いやしの道、旧道)-山頂(食事と周回)-(一風新道)-金谷-徳島市内 
    ~9:15  9:30                  11:50-12:45            14:40

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルアースとGPS

カシミール断面図
山トレを兼ねてアサマリンドウの様子を見に中津峰山へひとっ走り。前回とは逆コースで周回です。


金谷駐車場

沢沿いの道

木もれ日のベンチ
いつもの金谷の駐車場。常連さんはまだのようです。
久しぶりに「いやしの道」から登頂。沢沿いの道は滝子山のズミ沢を、こちらはミニ版ですが思い出します。木もれ日のベンチからは急登の旧道へ。
如意輪寺への分岐を通り過ぎて、補修作業中のマイクロウェーブの施設の近くには「耳取」の看板が新しくなってました。耳取の内容は想像していた秀吉の朝鮮侵略とは無関係らしい・・確かにあちらは耳ではなく鼻削ぎでしたっけね。
天津神社に参拝、山頂ベンチは暫く独り占めでした。

耳取の看板

天津神社

山頂ベンチ
耳取:
 看板には「神代の時代から耳取と言われる場所。中津峰はあの香具山」だそうです。そして古事記ではここを正勝吾勝勝速日天忍穂耳命と命名した」と書いてあります・・・あれま。「古事記の舞台が阿波であった、天皇家は阿波の出である」のお話しの一環みたいですね。

 マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ、日本書紀ではアメノオシホミミ。アマテラスとスサノオとの誓約の際に生まれた五皇子の長男だそうです。葦原中国平定の際、天降って中つ国を治めるようアマテラスから命令されたが、下界は物騒だと途中で引き返す。その後、国譲りの後に再び降臨の命が下るが、自分の息子のニニギに行かせるようにと進言したとか。
 そういえば、金谷からの登り口にある金山神社にも古事記由来の話がありました。なんでも八咫の鏡を製作した天津麻羅を近くの立岩神社に祭っていると案内に出ていました。
その立岩神社での案内看板です。「日本一の巨大陽石を御神体とする神社である。陽石は高さ七メートル、巾四メートルの巨岩で、基部正面に左右二個の大玉石を配し、素朴にも男性を象徴しているが通俗的信仰はなく、祭神は天津麻羅といわれている。御神体の正面はたたら跡(金山神社)を向いており、古代金属器の製作に名工鍛冶・天津麻羅がかかわったことを暗示している。古事記によると、八咫の鏡は「・・・天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ・・・」とあり、この地で八咫の鏡を製作されたものと推定されている・・・略」。
 「古事記の舞台が阿波であった」・・・古事記に出てくる全ての場所が徳島に同定されているようです。なんともロマン溢れる話ですが、一方ではなんとなくもの哀しい感もします。無理矢理に辺境であった日本を世界の歴史と結びつけようとする・・・古代日本が世界の中心とする竹内文書とか、ルーツはユダヤ人という説とか、キリスト(確か、ムハンマドも)は日本で修行し墓もこちらにとか、ソロモンの秘宝もアークも日本にあるとか・・・これらとなんか相通じものがあるようにも(^_^;)。

平石山分岐

東の海 展望

お地蔵様
下山は一風新道。平石山分岐付近からの展望、遠くに淡路島、小松島港そして橘湾。、
チャボホトトギスの花は終わってしまい、葉っぱが元気に拡がっていました。
キノコがそこかしこに顔を出していますあ、全く毒キノコとの区別が付きません。
白いフワフワ、なにかの卵かサナギかと思い、調べて見ました。どうも綿毛のようですね。
そしてアサマリンドウ。薄い青色で可憐な印象、この花は関東にはありません。