徳島 焼山寺山、一宮城跡
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行程  2009年11月15日
   徳島市内=杖杉庵-焼山寺---焼山寺山---竜王窟分岐徘徊-焼山寺-杖杉庵
     8:30    9:35 10:10-10:25 11:20-11:25     11:35-11:45  12:05-12:50 13:40
   =大日寺、 駐車場-一宮城跡=徳島市内
                15:00~16:10            

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

焼山寺山 GPS

一宮城跡 GPS
日曜日は久しぶりに晴の予報。山トレを兼ねて焼山寺山へ、帰りは一宮城跡に寄り道。
焼山寺山の中腹には四国八十八箇所霊場の第十二番札所「焼山寺」があり、寄り道した一宮城跡の前には十三番札所の大日寺があります。

○焼山寺山

杖杉庵

弘法大師と衛門三郎
十一番札所kの藤井寺から焼山寺までの長~い登りは「遍路転がし」の異名で有名。このロングコースは敬遠し、車アクセスができる安易な鍋岩経由です。鍋岩には無料の駐車場がなく、歩きの距離はぐんと減るが、もっと上の杖杉庵(じょうしんあん)に車を置かせてもらいます。超軟弱コースだが、ザックには余分な荷物を詰め込み10kg超に。
杖杉庵は、最初に四国お遍路した衛門三郎の終焉の地だそうです。数ある弘法大師伝説のひとつでしょう。
30分ほどで焼山寺に到着。本殿に参拝し、本殿を左に回り込んで登山口、奥の院への参拝道にでます。
山頂まで小1時間。途中で和歌山から来られたご夫婦と立ち話。なんでも5回も札所をまわられて、いまは奥の院巡り、別格札所をまわっているとのこと。寒い中での長時間の立ち話で震え上がりました(^_^;)。ご夫婦はかなり薄着・・・大丈夫だったかな。

高越寺 本堂

奥の院 参拝道

大蛇封じ込め

大きなキノコ

竜王窟・奥の院 分岐
奥の院へ行く途中、大蛇封じ込めの大岩を過ぎて暫くすると竜王窟の標識がある分岐に出ます。以前に来たときに気になっていて、今回は帰りに行ってみようかと相談。
あまり広くない山頂には奥の院の小振りな祠。

前に来たときは剣山が見えたけど、今日の展望はもうひとつかな、

山頂 奥の院

展望

駐車場からの参道
寄進の募集

こういう石像を寄進

駐車場の門番?
帰りに分岐から竜王窟へ。最初は平坦なだが、すぐ急降下する落ち葉で埋もれた階段の道となります。GPSを見ると焼山寺と谷を挟んだ尾根をどんどん下っていくようなのでUターン(^_^;)。納経受付で尋ねたが、大蛇封じ込めの岩とごっちゃになり要領を得ません。後で参道にあった案内板で寺に戻るコースのある事が判明。
駐車場から「遍路転がし」のコースを覗いて、また元の道へと引き返し。
だいぶ紅葉が進んでいます。案内板を初めに見てれば竜王窟へ行ったのですけどねえ。
杖杉庵の近くまで戻った民家の屋根についていた紋?です。

参道の紅葉

参道の案内板

杖杉庵の手前で
○続いては寄り道した一宮城跡

大日寺

一宮神社

神社縁起
札所の大日寺のすぐ向かい側。思ったより大きな城跡です。城跡の入口には一宮神社があります。神仏習合時代は大日寺と一体でこちらがお遍路の札所だったとか。分離令で別れると神社の方が賑わう例が多いかな・・・でもここはお遍路のメッカ、神社より大日寺の方に活気があります。
一宮神社の祭神は「天石門別八倉比賣命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)、大宜都比女神(おおげつひめのみこと)。八倉比賣命は天照大神の別名という説を唱える方もおられるとか。大宜都比売神は、国産み、神生み神話に出てきて、阿波の名前でもあるとか。
蜂須賀さんが寄進した太鼓橋の横を通ると城跡の入口です。

太鼓橋

城跡案内板

入口
1338年に阿波守護の小笠原長房の4男・小笠原(一宮)長宗が築城。南北朝から戦国時代まで一宮氏が代々居城したそう。
1582年には長宗我部元親によって征服され、秀吉が平定するまで支配。秀吉から阿波を与えられた蜂須賀家政は、はじめ一宮城に入り、翌年に徳島城を築いて移った・・・という歴史。
15時をまわっている事もあって、大日寺の賑わいと対照的に閑散として我らだけ。長く続く城の歴史の重みでしょうか、なにか気を感じます。
財蔵丸 展望
明神丸 展望

本丸跡

本丸

本丸 展望
標高が約144メートル、西には山、残る三方は川で展望も利く要害、なおかつ水運にも便利と素人目にも山城に良さそう。敷地も本丸を中心に、東西800m、南北600mと広いようです。
本丸跡から裏側の方へまわると未整備、かつ日陰で薄暗くて雰囲気あります(^_^)。
陰滝は貯水用の池から落ちる水の流れです。
椎が多いのは後から植えたのか、城の食料備蓄の一環だったのか?

釜床跡

陰滝

椎の実