徳島 富士の池~一ノ森~槍戸山
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行程  9月2日
   徳島市内=神山=木屋平=垢離取(コリトリ)=剣山龍光寺-追分--一ノ森
      7:00                         9:00-9:30  10:30  11:50-12:40
   --槍戸山---一ノ森---追分-剣山龍光寺=垢離取=木屋平=神山=徳島市内
    13:08-13:20 14:00-14:20   14:55 15:20-16:05  16:20               

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルアースとGPS

カシミールとGPS
4年前に徳島に移ってきたときに気になった事とのひとつが「コリトリ」という地名。カタカナ表記しか見つからず意味不明、3年目にしてやっと浄めの沐浴(禊ぎ)を意味する垢離取だと判りました。剣山の昔の表参道と判り、いつか行ってみたいと思ってましたが、お盆に一ノ森で出会った方に国道438号線から災害復旧用の資材運搬路を使うと車で龍光寺まで入れて1時間の短縮と聞いて、早速行くことにしました。


コリトリ
国道438号線から資材運搬路への分岐、コリトリです。ここがかっての表参道の入口だそうですが、最近は篤志家が利用する程度で寺院までの参道も荒れていて、かつきついそうです。
昭和51年の豪雨災害の復旧工事がいまだ続いているようです。入口でよく見ると、「関係者以外は通行禁止」との看板があるようです。落石、道の崩落などのためでしょうか・・・ごめんなさいと通してもらいました_(..)_。看板の写真を後でよく見ると、「狩猟者 通行禁止」でした・・・早とちりでした。
簡易舗装の狭い運搬路を緊張して約15分ほどで龍光寺・富士の池本坊のゲートに到着。閉じられたゲート前に駐車させてもらって境内に入ると「剣山金剛院藤之池本坊」の石碑の建つ参道入口。ゲートからほぼ東の方にはピラミダルな山が見えます。たぶん安徳天皇、土御門上皇の伝説のある東宮山。

龍光寺 ゲート

ゲートの中 参道入口

ゲートから東宮山

脇に咲いていた
トリカブト

藤之池

ハミの窟
参道を入ると最近造られたような藤之池(富士の池とも書かれていて、ほんとはどっち?)。
なにか曰くのありそうな「ハミ(まむし?)の窟」もあります。木屋平村史を調べても情報なしでした。
そして趣のある石段の上には本堂。役行者像のある護摩炊き施設、身体を清める施設などある大きな寺です。

石段から本堂

本堂の全景

柴燈大護摩の場所

浄め

↓余談その1:剣山龍光寺の不思議??
ところで、剣山龍光寺です。修験道のお寺のようですが、ネットで調べても縁起、本尊などの情報がありません。剣山龍光寺で検索に出てくるお寺はもう少し下の木屋平の中心部にあるようです。この表参道の富士の池のところのお寺との関係もよくわかりません。ちなみに龍光寺で検索すると、他に愛媛県にある札所と徳島の南にあるお寺がヒットします。
気になって、図書館に行って木屋平村史などを調べてきました。地元の図書館には各地域でまとめ作成された町史、村史などが集まっています・・・が、何故か木屋平村は資料が少なめ。
村の中心部にある龍光寺の方は大覚寺派の真言宗で、空海の開基という言い伝えがあり、昔は参拝してから剣山に詣でたといった記述はありますが、ご本尊とか富士の池本坊との関係などの情報はありません。細かいところでは「富士の池」と「藤之池」という二つ名称についても説明がありません。

剣山龍光寺の所在

不思議な本堂の形
そして本堂です。修験道のお寺とはいえ、本堂から繋がった奥にある本尊の建物はお寺ではなく神社の形式のようで屋根には千木があります。
吉野の金剛峯寺に行ったときに意識して観察しなかったですが、修験道では、こういう形のお寺って一般にあるのでしょうかね。

↓余談その2:剣山龍光寺の不思議??
この村の中心部にあるらしい龍光寺とコリトリから登った富士の池にある藤之池本坊の関係などがどうしても気になります。後日、塔丸に行った帰りに立ち寄ってみました。
上記の地図に入れたように龍光寺の本体は木屋平の中心部、国道438号に面したところにあります。

入口

半壊状態の本堂
入口の石段をあがっていくと本堂。この本堂が半壊状態になっていました。おや、廃寺になってしまったのかしらと、奥の方へ行くと、別棟の普通の家があります。裏に回ると、座敷のガラス戸が開いていて、太い腕と足の逞しい修験者かなと思われる方が食事中です。「ご住職ですか。このお寺は取り壊しされるのですか」と声をかけさせてもらいました。。
「いや、災害の後の復旧を申請しているが、お寺まではなかなか順番が回ってこない。このところ災害が起きていないので、近いうちには再建される」・・・そうです。材料も揃っているとの事。
今日は富士之池本坊に行ってお客に対応して帰ってきたところだと仰ってました。
そこで、富士之池本坊、その上の剣山本宮の事など尋ねてみました。
まずは、ここ龍光寺が本部で、富士之池本坊は別当、神仏分離令の前は剣山本宮、大剱神社も別当だったとの事。そして龍光寺の本尊は阿弥陀如来、富士之池本坊は剱大権現。なので富士之池本坊の奥宮は神社造りだとの事。
入口に縁起を
記載した石塔
書き物になった縁起はないとの事でしたが、入口にある高い石塔に縁起が彫ってありました。今のご住職は五十世で俊海さん、資料を集めて縁起の元をまとめられたのは四十九世の海拳上人となっています。
「709年に行基による開基、珠當山長福寺を建立。814年に弘法大師がここに密法を開祖。1715年に龍光寺に改名」などと彫られています。今の住職さんによると四国八十八箇所総奥の院はここだとの事(ネットでは與田寺、仙龍寺となってますね)。
富士之池本坊も剣山本宮の仮宮と同様に災害で壊れて建て直したそう。だから新しい感じがするんだ。来年の柴燈大護摩に来るように誘われて、富士之池と藤之池の名称が入り乱れている事、ハミの窟の謂われ、など尋ねるのを忘れてしまいました。

剣山本宮

昔の剣山本宮
お寺の少し上に剣山本宮があります。神仏習合時代に「龍光寺」が管轄してた神社なんでしょう。徳島県観光案内に「剣山大権現を祀った竜光寺本坊と、少し離れて安徳帝を合祀した剣山本宮がある」と書かれています・・・県の資料なのに龍と竜と字が違ってますね(困ったものです)。
「剣山本宮」は災害で壊れて今は仮宮があるのみ。頂上の神社に合祀されているらしい。
一ノ森までの登山道は見ノ越からの登山道と違ってほとんど森の中となります。
ほどなく追分、行場・・剣山と一ノ森の分岐です。
立派なブナの森、続いてシコクシラベの森の中、風がなく蒸し暑いためなかなかきつい。飲み水の消費もこの夏一番かも。

追分

森の中

森の中

秋色の空に白骨樹

にくぶち峠

一ノ森 近く
とはいえ、空はもう秋色の感じです。暫くして「にくぶち峠」からの道と合流。この名前もかわっていますが、由来は?。
一ノ森の頂上近くでやっとミヤマクマザサの草原となり空が見えてきます。
一ノ森ヒュッテの手前で白骨樹(枯存木)と花

枯存木

オトギリソウ

リンドウ
シコクフウロ
ヒュッテ前の花畑には8月15日にはなかったレイジンソウが増えていました。
レイジンソウ

アキノキリンソウ

キツリフネ

オタカラコウ
ヒュッテの前から槍戸山へ。尾根に出て岩場でお弁当です。

ヒュッテ前 槍戸山へ

ジロキュウ、三嶺、剣山

弁当休憩の岩場から
槍戸山

槍戸山へ尾根道

下にスーパー林道

槍戸山

山頂の先にオブジェ

枯存木
槍戸山から見下ろすとスーパー林道がクネクネと長く延びています。よくぞ造ったものです。
来た道をピストンで引き返します。途中で見つけたホウキダケ(たぶん)。まだ小さいですが、以前に丹沢で一抱えもある大きなホウキダケを見つけた事があります。
今回は、短縮楽々コースの筈でしたが、このところひ弱な山歩きしかしていない私ども二人。蒸し暑く大汗をかいたこともあって、6時間(うち、1時間は食事など)ほどのトレッキングにもかかわらず少々バテ気味。もう少し頻繁に歩こうと反省しきりです。

倒れた枯存木

ホウキダケ?