中国地方 安芸の宮島、吾妻山、鯉ヶ窪、大山
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行程
  7月18日 安芸の宮島~吾妻山
    徳島市内=徳島道=しまなみ海道=宮島口=(船)=宮島-厳島神社
       6:00                 ~12:00
    =宮島口=廿日市IC=庄原IC=吾妻山 休暇村
                           ~18:00
  7月19日 吾妻山~鯉ヶ窪~大山
    吾妻山 休暇村-吾妻山-休暇村=庄原IC=東城IC=鯉ヶ窪湿原周遊
       6:00      7:00  9:00-9:30            ~11:00-12:30
    =東城IC=溝口IC=大山町
     ~13:00      ~17:00
  7月20日 大山
    大山町 登山駐車場-夏山登山道-頂上小屋-弥山-駐車場=ホテル入浴
        7:30                 10:30-11:10    13:30
    =溝口IC=瀬戸内大橋=高松道=徳島市内

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

安芸の宮島
初めての「しまなみ海道」を通り宮島へ。車の走行領域を少し狭くして、自転車と人の通る道も付随していますが、車で走ってしまうと印象が弱くて、鉄道併用の瀬戸大橋、車のみの鳴門大橋・明石大橋との違いがよくわからない。
しまなみ街道を抜けてから事故渋滞に巻き込まれ予定より1時間超過で安芸の宮島に到着。まずまずの晴天でもあり、「ほ-、これが海の波に洗われる厳島神社のなのか」と感動、清盛気分で神社の回廊から大鳥居を闊歩(笑)。その間にも潮が満ちてきて鳥居の足下が濡れてきます。暑い中を「未完成の千畳閣」から山の中腹を散策。

しまなみ海道の点描

宮島、厳島神社
山陽道で通過1時間の事故渋滞に巻き込まれ、久しぶりに首都圏時代の渋滞を味わうおまけ付きでした(笑)。宮島口に車を置いて(1000円)、フェリーで宮島に渡ります。
船から見る大鳥居はいかにも小さく感じます。見かけより海と島の造る空間が広いせいでしょう。

フェリー発着

頻繁に行き会うフェリー

宮島の発着所

入口でおねだり鹿

家の裏で休憩鹿
ほんの十数分で島に到着。鹿が出迎えてくれます。奈良公園の鹿より小さい印象だし、少なめの感じ。おねだり鹿もあまりいないようですね。っこの時期は角がまだ切られていないのか、奈良と違って切らないのか、どうなんでしょうね。
海岸線に沿った遊歩道を大鳥居を眺めながら厳島神社の入口へ。
流石に世界遺産です。外国人も含めて大勢の観光客です。入口の手水では外国人が馴れない手つきで手を清めていました。

拝殿

丘の上に五重塔

太鼓橋

能舞台
想像していたよりずっと大きな回廊に驚きます。
干潮で水が引いた状態ですが、満潮になるとこの下は海になるんですよね。
想像していたより規模の大きな回廊を周遊してから砂浜に出て大鳥居へ。明治8年に立て直し、昭和26年に腐った柱を取り替えた8代目の鳥居、こちら側には厳島神社、反対側には伊都岐島神社の額。
神社の上の丘には応永14年(1407年)に建立されたといわれているが、なんだか新しい感じの五重塔と秀吉の急死で未完成のままになった千畳閣。

大鳥居

五重塔

千畳閣

龍髯の松

土産物通り
千畳閣から弥山の中腹を通る遊歩道(車道)をウォーキング。すぐ近くには「龍髯の松」。樹齢二百年の黒松で、枝を左右に長く伸びばした得意な形をしています。
途中、踏み跡のような道を降りて島の商店街へ、と移動。観光客で賑わっています。
商店街(土産物通り)の名物「世界一大きい大杓子」。長さが7.7メートル、最大幅が2.7メートル、重さが2.5トンだそうです。世界遺産登録を機に展示を始めたとか。
そして町屋に「たのもさ」の貼り紙。国も無形文化財と書いてあります。
島自体が信仰の対象で田畑を作れなかった宮島で、農作物への感謝で、供物を乗せた「たのも船」を海へ流してたそう。その行事みたい。

世界一大きい大杓子

たのもさんって?

余談  清盛の頃も厳島神社の位置は同じだった??
 安芸の宮島で厳島神社の回廊を歩きながら素朴な疑問が・・・厳島神社は清盛の時代は水没していなかったのか?
 ほぼ同じ時代、義経が屋島に逃れた平氏を追って四国(徳島)に上陸した地点は、いまではずーっと陸に入った場所です。近くには当時は島であったという日本一低い山(弁天山、標高6.1mの山頂には厳島神社)もあります。その頃は海面が今よりかなり高かったのでは?
 今でも大潮の満潮時には海面が廊下すれすれまでくる回廊です。平安時代にも現在の建物のままで成り立つのかという素朴な疑問です。
義経上陸地点

海面上昇
シミュレーションHP
縄文時代のある時期には海面が数m(6mくらい?)も高くなり海が陸地に入り込んでいたという「縄文海進」は有名ですが、調べてみると平安時代も海面上昇する「平安海進」という現象があったらしい。平安時代の海面上昇は3mから4mといわれているようです。
たまたま海面上昇による海岸線の変化をシミュレーションできるホームページを見つけました。 温暖化による海面上昇のシミュレーションが目的のようです→URL.。
上の上陸地点の図は海面を4m上昇させてみたときのものです。
同じく4m海面を上昇させたときの大阪湾と問題の宮島付近です。大阪湾ではかなり海が陸に入り込んでいます。一方、宮島の海岸線はほとんど変化していません。
シミュレーション手法と元になるデータがどうなのか分かりませんし、信頼度も不明ですが、宮島付近、それも今でも海面とすれすれの辺りで海岸線が変化しないの何故なのか判りません。でも取り敢えず平安時代も宮島の神社は今の位置で大丈夫そう事が納得できました。

海面4m上昇時の大阪

海面4m上昇時の宮島

調べた本
すぐ入手できる資料を図書館で調べてみました。世界遺産関係の資料、寺社建築関係での資料が厳島神社の建設歴史に触れていました。
593年の推古天皇の時に建立、1168年に清盛が建て替え、その後は1207年と1223年に全焼して1241年に再建し、その後は修理だけ。1571年に毛利元就によって本殿だけ建て直され、以後は修理だけ。清盛から本殿は四代目でその他社殿は三代目との事。
直近の台風被害もありましたが、長い歴史の中で何度も台風・高潮の被害にあうが本殿は無事で都度修復されてきたとの事。山側からの土石流も考慮した素晴らしい設計がされているらしい。いずれの本も海面位置の推測はしていませんが、残っている沢山の古文書から神社は当時から現在の位置に、現在の形であった事は確かなようです。
神社に掲示されていた満潮時のお祭りの写真です。回廊から2m弱の所まで海面が来ているようです。海岸線の変化シミュレーションだと宮島の海面上昇はほとんど無視できそうだし、この写真からだと、たぶん平安時代に1mくらいの上昇があっても問題なかったかも判りませんね。

最近の写真