高知 室戸岬~モネの庭~桂浜~高知市街
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行程  7月10,11日
   7/10 徳島市内=(国道55号)=室戸岬(乱礁観光、御厨人窟、札所)
        =吉良川 町並み=北川村モネの庭=桂浜(龍馬像、桂浜)
   7/11 龍馬記念館=五台山(竹林寺、牧野植物園)=山内宝物館-龍馬の生まれた町 観光
        -高知城-山内神社-山内宝物館=高知道、徳島道=徳島市内            

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

全行程
高知の観光は小学校の修学旅行で行って以来。四国の東海岸を南下し、室戸岬で灯台・空海が悟りを得た御厨人窟・お遍路札所を訪問、そして海岸の奇岩群(乱礁)を見て北川村モネの庭へ。汗でびっしょりになりながら青い睡蓮を観賞。
暑さとの闘いを経て桂浜へと移動。宿は国民宿舎「桂浜荘」。荷物を置いて龍馬像と桂浜を散歩。ここでまたまた一汗。
翌日は龍馬記念館を見学して五台山へ。札所の竹林寺と牧野植物園を訪問。ついで、山内家宝物資料館に車を置き市内ウォーキング。「龍馬の生まれたまち記念館」、高知城を散策し山内神社と宝物資料館を訪問。

7/10 室戸観光

夫婦岩

ヒシャゴ岩
四国の東海岸を南下、徳島の海部から高知の東洋町そして室戸岬へ。海岸の奇岩の並ぶ海岸の乱礁遊歩道をウォーキングです。
灌頂ヶ浜は弘法大師が灌頂の会式をした浜と書かれてましたけど、ちょっと無理筋かな。

土佐日記の碑

エボシ岩

灌頂ヶ浜

灌頂ヶ浜

五所神社

神明宮
空海と改名した伝説の地、御厨人窟。左の五所神社の岩穴で寝起きし、右の神明宮の岩穴で修行されたそう。神社は後から置かれたんでしょう。ここで、虚空蔵求聞持法を修められ、明星が口の中にとびこむという神秘体験をして、この洞窟から見た空と海に感銘、空海と改名したとか。
徳島の太龍寺の舎心嶽で百日間の虚空蔵求聞持法を修したともいわれていて、両者の関連は??。
そして海岸通りにある青年大師像です。御厨人窟で修行したのが19歳だったそう。その頃の姿なんでしょうか。信者や一般の方々の寄進によって建立されたものだそうですが、何故かお釈迦様の涅槃像も一緒です。青年大師像が海の方を向いて屹立されていて、海岸に山が迫っているためか、涅槃像を置く場所に悩まれたのかな。結果、お互いに背を向け合った形になっています。

青年大師像

釈迦涅槃像

中岡慎太郎

室戸灯台

最御崎寺
陸援隊の中岡慎太郎の像から室戸灯台へ。そして八十八箇所の24番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)み参拝。

岩見重太郎の塚

クワズイモ
なんと狒々退治の岩見重太郎の塚がありました。岩見重太郎(別名、薄田隼人(すすきだはやと))の塚との札があります。福岡県の人といわれているのに,何故ここに?
もうひとつは弘法大伝説の「くわずいも」。空腹で乞うたのに貰えなかったので、食べられなくしてしまったというイジマシイ話。他にも水を貰えなかったので出なくしてしまったとか寂しい伝説を残してます。
続いて25番札所の津照寺(津寺)へ車を移動。漁師町、漁港の町ですね。ここで「鰹のたたき定食」をいただきました。この町は、遠洋漁業が最盛期の頃に賑わったそう。確かにいまも路地に入ると飲み屋、スナックが何軒もあります。ピーク時には船をおりた人達が豪遊、お札をばらまいたそう。翌朝に道の掃き掃除するだけで随分と儲かったとか。

津照寺

竜宮城のような本堂

金剛頂寺

一粒万倍の釜
津照寺のすぐ近くには26番札所の金剛頂寺。弘法大師が一粒の米で炊くと万倍に増えたという釜が置いてあります。
7/10 吉良川町~北川村モネの庭
室戸岬から北川村モネの庭への途中にある吉良川町。明治後期より土佐備長炭の廻船で栄えたまちらしく、当時の古い町並みが残っていて、国の重要伝統的建造物群保存地区になってます。駐車場に車を置いて歩き出して見ましたが、案内も地図もなくて全体像が掴めないまま。水きり瓦とか「いしぐろ」「なまこ壁」などが見所らしい。、
目的のひとつの北川村モネの庭「マルモッタン」です。たいへんに蒸し暑く、かつ平日でしたが、それでも観光客は幾らかおられました。目的は青い睡蓮でしょう。
到着が14:30頃と遅く、入口で「青い睡蓮の花が閉じますよ」と言われて大急ぎで池へ向かいました。
ここは村営なんでしょうねえ。指定管理者制度になっているようですが、これだけの施設を村で持つというのは凄いですね。
沢山の花がありましたが、名前の記録を無くしてしまって、おいおい調べていきます。

チロリアンランプ

パイナップルリリー

パイナップルリリー

トケイソウ

カルダン

アベリアエドワード
ゴーチャ
7/10 桂浜と龍馬像
大汗を流してモネの庭を巡回してから桂浜へと移動。インターネットのポータルサイトで予約した宿国民宿舎に荷物を置いて、遊歩道を坂本龍馬像と桂浜へと出かけます。
小学校の修学旅行に来て以来です。龍馬像もあったと思いますが、こんな丘の上だったんですねえ。

龍馬像

桂浜

龍王岬

龍王宮

丘の上の龍馬像

国民宿舎
桂浜の端、龍王岬に竜宮城のような社があります。凄く蒸し暑いなか、フーフーいいながら登ってみました。漁師が海上安全や大漁を祈願する「海津見神社」通称「龍王宮」と呼ばれ、毎年春には祭りも開かれる立派な神社だそうです。
国民宿舎の夕食はまずまずです。宿舎から桂浜に隣接する西側の海岸線に飛び出している複数の突堤、目的はなんでしょうね?
ところで、宿舎の所から浦戸城跡に登ることができます。鎌倉時代は砦だったが、長宗我部元親が天守を本丸・二の丸・三の丸・出丸を持つ本格的な城にしたらしい山内一豊も最初はここに入り、高知城を建設したとか。

宿の夕食

桂浜西隣の突堤
7/11 桂浜の龍馬記念館~五台山・竹林寺~牧野植物園
      龍馬の生まれた町~高知城~山内神社
翌日は国民宿舎の横にある龍馬記念館に長く滞在。実は50年も前からの龍馬ファンなんです。久しぶりに龍馬の人物像にたっぷりと触れることができました。
船中八策と高千穂登山を書いた乙女姉さんへの手紙。撮影禁止なので別の所から持ってきました。日本で初めての新婚旅行で行った高千穂の山頂では逆鉾をイタズラして抜いたとか。

龍馬記念館

船中八策

高千穂登山

暗殺された近江屋

車が海の上を走ってます
京都にある龍馬と慎太郎、藤吉の墓を訪問したのが大学生の時、それから40年以上も馬齢を重ねて龍馬が暗殺された年齢33歳はとうに過ぎてしまいました(^_^;)。
龍馬が書いた沢山の手紙、所持していたピストルなどから当時の建物再現など展示が盛り沢山。
続いて五台山へと移動。ここには四国お遍路の31番札所です。
唐の五台山になぞらえ行基が開山したらしい。
土佐の民謡「よさこい節」ので「坊さん、かんざし買うを見た」の純信はここの修行僧だったとか。
本尊が文殊菩薩なので「智慧の牛」の石像があるのでしょうか。雰囲気ある石段を登ると本堂です。
本堂境内に建てられた五重塔は新しい。脇に入ると古びた鳥居と社、ここには歓喜天を祀っているようです。
苔むしたしっとりした庭を通り駐車場へと降ります。
ここから次の牧野植物園へと移動。
牧野植物園は昭和33年に牧野富太郎博士の業績を顕彰する県立の施設として開園されたそうですが、広大な敷地と展示館が幾つもあって、一日じゃまわりきれないかも。

タンナサワフタギ

ナデシコ

ハマゴウ

ハマゴウ

ヤブミョウガ

シナノアキギリ
  

コウホネ

シラサギ大群

ハマボウ

エゾリンドウ
そして高知市の真ん中に移動して、車は山内家宝物資料館に駐車。ここから上町の「龍馬が生まれた町」、高知城を観光、宝物館へと一筆書きの徘徊に出発です。

龍馬の生まれたまち
記念館

生家は碑だけ

生家跡のバス停
片側三車線の広い道路と路面電車にバスとダイナミックな印象の町です。路面電車は頻繁に走っていますし、乗客もまあまあ乗っています。町を歩いている人も目につきます。見に行く時間がなかったですが、アーケード街も活気があるようでした。ここ4年の間に愛媛、香川そして今回の高知と巡りましたが、四国の中では徳島にどうも元気を感じられないのが残念です。
たまたま、この地域がそうなのかも判りませんが、徳島に比べて食堂が少ない。昼食する店を探すのがたいへんでした。
なんと、四国に拡がっている豚太郎の店をやっと見つけました。
高知城は明治時代の廃城を免れ、二次大戦の空襲に遭わず残ったそうで、うらやましい。

豚太郎の昼食

高知城 懐徳館

天守より

山内神社

最後の藩主
ほぼ力尽きて(^_^;)、山内家宝物館に戻り、隣の代々の藩主を祀った山内神社に参拝し、宝物館を少しだけ覗いてから高速で我が家へとなんとか帰還。