淡路島、沼島
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行程  2月1日
   徳島市内=西淡三原IC=灘黒岩水仙郷=諭鶴羽神社=土生=沼島港-沼島灯台
     8:30             9:30~              11:55  12:05
   -山の大神社-上立神岩、平ばえ-おのころ神社-神宮寺-沼島港=土生=徳島市内
                                          16:00  16:10          

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルアースとGPS

沼島とGPSトラック
昨年の1月末頃に「淡路島の水仙郷」と「国生み神話の島:沼島ウォーキング」を計画しましたが、都合つかず断念。今年こそはと、友人ご夫妻もお誘いして、淡路島の「灘黒岩水仙郷」と沼島ウォーキングに出発。ネット検索で沼島のボランティアガイドをしてくださる「ぬぼこの会」の存在を知って、事前に案内をお願いしました。自然、神話など詳しく教えていただくには島内4時間の予定は時間が不足でした。更に2~3時間は欲しいです。

○灘黒岩水仙郷
関西方面からの観光客が多く、乗用車に観光バスが凄い数です。早めに到着したので、近くの駐車場に滑り込みセーフ。出る頃には臨時駐車場からシャトルバスでの移動になっていたようです。
急斜面の山肌に沢山の水仙が咲いていて、なかなかの迫力です。
公園のようになっていて、中でゆっくりと散策でき、要所要所では座って観賞もできるのかなと思っていましたが、実は斜面に作られた遊歩道を一方通行で周遊するようになっています、座って観賞はするような場所はないですね。
梅も咲き始め、水仙とのコラボレーションです。
○諭鶴羽神社

本宮

境内の親子杉
水仙郷の花見物が予定より早く終わり、沼島行きの上船時刻まで間があるので、近くの諭鶴羽神社までひとっ走り・・・って嘘、車一台がやっとの山道で冷や汗です。後で判りましたが、神社のある諭鶴羽山は関西百名山。近畿自然歩道、諭鶴羽古道が通っているようです。ネットの後付け情報ですが、車では入らない方が良いとなっていました。車での通行のしやすさという観点ではなくて、山の雰囲気として歩いて登るべき山ですね。この日もハイカーが大勢おられました。
諭鶴羽神社は平安時代から諭鶴羽権現が祀られ熊野修験道の一大霊場だったそうです。15世紀中ごろには18もの建物があったそう。明治の神仏分離により伊弉冉尊、速玉男神、事解男神を祀る諭鶴羽神社として残ったらしい。今年の3月22日には諭鶴羽修験道復興祭が斎行されるらしいです。胎蔵界と金剛界の大日如来への祈願をすると書かれてました。町石五輪卒塔婆が多くあり、中でも1552年の銘のある多宝塔板碑は特に優れた石造遺品であるとか。

雰囲気ある境内の森

多宝塔板碑
○沼島

土生 ターミナル

船着き場

乗船
沼島行きの乗船場、土生港で早めのお弁当。沼島到着の12:05からすぐ島内巡りをするよう「ぬぼこの会」にお願いしています。沼島汽船の客船、スポーツ新聞主催の釣りツアの船の二艘が停泊しています。
沼島には羊歯の種類が多く、特有のものもあるらしい。羊歯とツワブキの茂る山道を登っていくと沼島灯台、更に進むと山ノ大神社に到着。沢山の朱色の小さな鳥居が参道に沿って続きます。「海上安全」「四季豊漁」の祈願のようです。「アラガミさん」と呼ばれ、山全体が山の神という神体山だそう。また、豊漁、航海の神で、かつ鉄の神様でもあるとの事。

山ノ大神 鳥居

本殿

上立神岩

平碆岩(バエ)

何故かつつじ
神話を訪ねる旅のメインのひとつ、上立神岩と平バエ(碆岩です。)この岩は天の御柱であるとも龍宮の門であるとも言われてるそう。
上立神岩、平バエをはさんで、下立神岩もあったが崩れてしまったらしい。男女を象徴し、間の平バエはイザナギ・イザナミ二神の契りの場ともいわれる。
いよいよオノコロ神社です。事前の調査不足で淡路島にはもっと大きな「おのころ島神社」がある事に後で気づきました。帰りに寄れた筈なのに残念。沼島の観光パンフレットでも両社が混在してますねえ。間違いやすい。
沼島の方は山がご神体で後から神社ができたらしい。

おのころ神社

拝殿

最近できた二神像
漢字表記は古事記とは違って自凝神社。古事記では、「イザナギ・イザナミの二神が「天の沼矛」をもって青海原をかきまわし、その矛を引き上げたときに、矛の先から滴り落ちる潮が凝り固まって島となった」・・ですから自凝神社という当て字も判らないではないですが、何時頃に誰がこの漢字を当てたのか訊ねるのを忘れました。
夢のお告げで関東の方から参拝に来られた方が浄財を集めて本殿を造られたなど色々と興味ある話があるようです。もう少し歴史、伝承について話を聞く時間が欲しかったです。

伝承:梶原景時の墓

八幡神社
港に戻り神宮寺に行く前に立ち寄ったのが梶原景時の墓です。頼朝亡き後にここまで落ち延びたのか?
景時というと、毎年のように梅見物に行っていた伊豆の幕山を思い出します。コースに自鑑水という小さな池があります。石橋山の合戦に敗れた頼朝が水面に映る自分のあわれな姿を見て、自害しようとしたという伝説があります。この時、平家方の景時が頼朝を逃してあげたんですよね。
そして神宮寺。880年に開基、前は八幡さんの守護にあたったそう。梶原一族の菩提寺になっていて、裏庭の桃山式枯山水の庭園は文化庁も調査に入ってるらしい。庭に鞘型褶曲の石。鞘型褶曲は、1億年前に出来た地球の「しわ」として残っている珍しい岩石。同心同の鞘型の褶曲構造になっている。沼島と仏とカナダだけにあるとか。

神宮寺

枯山水 庭園

鞘型褶曲の石

鞘型褶曲の手水鉢

淡路島から鳴門大橋
貴重な石で作られた手水鉢でしょうか。
おまけに淡路島側から見た鳴門大橋です。