香川 金刀比羅宮~大麻山
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行程  2月18日
   徳島市内=鳴門IC=善通寺IC=琴平ステーションパーキング-金刀比羅宮-奥社
     ~8:00                 9:56-10:05         10:50-11:00 11:33-11:40
   -大麻山-金刀比羅宮-松尾寺-旧金比羅歌舞伎-ステーションパーキング=鳴門IC=徳島市内
   12:37-13:18 14:30-14:50   15:30-16:40          17:00             

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルとGPS
香川の金刀比羅宮に参拝して、奥社から大麻山(おおさやま)まで縦走。
奥社の表示によると、本宮までの石段が785段、本宮から奥社までが583段だそう。
しっかりした石段で高さも幅も歩きやすくなっています。
奥社をほんの少し戻った左側に大麻山入口の表示があります。ここから大麻山の桜並木まではけっこう急勾配の山道なります。ところで大麻山はオオサヤマ、象頭山はゾウズサン、ゾウズセン、地図によってはゾウトサンとも書かれてます。

冒頭から余談(^_^):金刀比羅宮と金比羅さんって??

 金刀比羅宮の成り立ちは実にややこしいみたいです。原因は明治の「廃仏毀釈」のせいのよう。それまで金比羅大権現を奉っていた松尾寺が廃寺、明治になって金刀比羅宮に変化したらしい。その際に祭神も変わってしまったのかなあ。「こんぴらふねふね・・・・♪」の金比羅大権現(こんぴらさん)はいなくなって、たようだし、なおかつ寺の薬師堂などの各施設も神社に変化したようです。江戸時代にお寺だった時の配置図と2002年の神社の配置図がありました。二つ並べてみました。

江戸、現代の比較図
奥社に祀られている厳魂彦命は、戦国時代の別当であった宥盛という人が名を変えられて、明治38年(1905年)に移されたらしい。
また、明治前まで金毘羅大権現の本地仏として祀られていた本尊十一面観音像は信仰の対象から外されて、社宝として現在も観音堂に納められているとか(ネット情報ですが、観音堂は江戸時代じゃないかな。今もある?情報が入り乱れてます)。
それにしても寺院の時代の観音堂とか薬師堂とか仏を奉るいろんな建物を明治になって様々な神様を祭る神社に変更したいうのも凄い(@_@)。ここは、まさに廃仏毀釈の典型的なモデル神社のよう。
残されている書き物だと元亀4年(1573)に象頭山松尾寺内に金比羅堂が建立されたのが最初のよう。この時から江戸時代の初期にかけて、金比羅信仰は全国に広がったとか。明治の神仏分離で松尾寺は廃寺とされ、大物主神と崇徳天皇を御祭神とする神社となる。

讃岐国金毘羅山象頭山
金毘羅神社絵図
廃仏毀釈で多くの国宝級の仏像・仏具が廃棄されたらしい。現在の旭社は元の松尾寺の薬師堂で、本宮・書院は松尾寺の本坊・金光院などであったそう。
現在の松尾寺は奥社で教えてもらいました。金丸座(金比羅歌舞伎)の近くにこじんまりではありますが、健在でした。
国立公文書館が公開している、讃岐国金毘羅山象頭山金毘羅神社絵図です。本宮から上の神社~奥社は明治になってから造られたそうですが、確かに絵図には何も描かれてないです。山道くらいはあったのかな?

さて、江戸から明治にかけてのあまりにも激しい変わりようと、その経緯を表から消してしまっているのに驚いて、余談から始めてしまいました。アンコールワット、アンコールトムのヒンズー教と仏教の鬩ぎ合い、争いと入れ替わりをなんとなく思い出しました。

こちらは、ステーションパーキングです。土産物店には駐車料金無料と書かれていますが、小さく土産物を購入すればと注意書きがあります。いつも土産物は買わない方なので、ネットで調べて1日500円の無人駐車場を利用しました。

駐車場

中野うどん学校

うどん「てんてこ舞い」

金陵酒造 観光工場
参道のうどん屋さんと金陵酒造の観光工場など。帰りに寄るつもりでしたが、17時になると店の殆どは閉まってしまいました(^_^;)。参道には沢山の土産物店があり、よく似た品物が並んでいます。参拝・観光客が多いから成り立つんですねえ。
写真は、お客がつかない「駕籠かき」さん。遂に乗っている人を見かけなかったです。
今上天皇が皇太子の時代にご夫婦でお泊まりになられたという「旅籠とらや」です。こちらは蕎麦屋のようで別館が宿舎のよう。

閑古鳥の駕籠屋さん

旅籠とらや

本宮
大物主神と崇徳天皇

常磐神社
武雷尊と誉多和気尊

白峰神社
崇徳天皇

菅原神社
天神さん
そして本宮から奥社への道です。明治以後にできた新しい神社が並んでいます。
奥社です。金刀比羅宮とはお札も違うようですし、両者の関係はよく判りません。
ここにおられた神職さんに過去の歴史、松尾寺などを教えていただきました。
別当は近くの城主の家族がなる事が多いが、結婚しないので歴史が伝わっていないとか。

奥社

天狗、烏天狗の岩壁

奥社の社務所


登山口

途中からの讃岐富士

山道
さて、次は大麻山へ縦走です。山名はなぜか「おおさやま」と読むらしいです。
奥社をほんの少し引き返したところに登山口の標識があります。
短いですが、尾根道に出るまでは思ったより急登でした。
尾根道に出ると車が通れる舗装道に出てがっかりです。ここは桜並木になっていて桜の時期には賑わいそうですね。山頂は特に見晴らしもなく、電話などの中継用の大きな鉄塔が幾つか建てられています。

桜並木の舗装道

三角点

再び本宮まで戻って巡回の参道を下りることにしました。神楽殿でちょうどお神楽の奉納がされていました少し奥の昔の観音堂のところに明治に造った書かれている美穂津姫神社があります。観音堂は壊したのかなあ?
近くには厳島神社もあります。
大きな絵馬堂です。堀江謙一さんが太平洋を何回目かに航海したときのモルツマーメイド(ビール缶で作り、ソーラーパネルがエネルギー源)が奉納されていました。
西鉄ライオンズの西村投手の昭和29年の最優秀投手記念の写真もありました。

絵馬堂

モルツマーメイド

西村投手

もと薬師堂の旭社

左甚五郎作?の彫刻

清の王文治作の額
少し下りると重要文化財の旭社(昔の薬師堂)です。いまは天地開闢時の神様が奉られてます。
彫刻は左甚五郎作との話もあるようです。そして上に架かっている額は、清国の翰林院侍讀探花及第王文治の筆だそうです。当時は同じ仏教という事で献納されたんでしょうね。

参道を更に下りたところで右に分岐すると金丸座(旧金比羅歌舞伎)、その近くに金比羅宮の大元の松尾寺(一度、廃寺になっているから新生松尾寺?)があります。寺務所には人気が無く閑散としてしていました。金刀比羅宮との差がかなりですね。

松尾寺 入口
金比羅大権現の幟

金丸座(旧金比羅歌舞伎)

金丸座の中
    すぐ近くには金丸座。旧金毘羅大芝居(金丸座)と表示には書かれています。
この命名も不思議ですね。正式名称は国の重要文化財になったときにつけた「旧金毘羅大芝居」らしいですね。

お参りと軽い山歩きのつもりでしたが、なんか歴史が滅茶苦茶になっている事に吃驚。そちらを調べるのに時間がかかりました。「いまはこうだ」で良いですが、それとは別にもっときちんと昔からの歴史の流れを表に出して伝えないといかんですねえ。