熊野古道
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行程  10月4日 バスツア
 徳島市内=鳴門大橋=明石大橋=阪南道路=滝尻
   6:15                         12:45
 =発心門王子-水呑王子-伏拝王子-祓所王子-熊野本宮大社=滝尻=明石大橋=鳴門大橋=徳島市内
   ~13:00    ~13:38  ~14:30   ~15:40  15:45-16:30   17:10         ~20:00

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルアースとGPS

カシミール
今年の5月に中辺路の「牛馬童子~継桜王子、一方杉、秀衡桜、野中の清水」を歩いた続きで、「発心門王子~熊野本宮大社」を歩くバスツアを利用。7Km弱を歩いただけですが、前回の終点に繋ぐ形で熊野本宮大社まで行ってきました。
ほとんど標高差なしの楽ちんコースを語り部さんの説明を聞きながらゆっくりと約3時間で移動。長時間のバス移動(片道4~5時間)ですから、古道歩きよりも古道アクセスの旅という感じですね。


饒速日命

発心門王子
発心門王子から出発。発心門王子の所に真新しい社殿があり、「饒速日命」の立て札。語り部さんにどう読むのか尋ねたが、判らないとの事。ネットで調べると、「ニギハヤヒノミコト」。神武東征より前に天照大神から十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国に天降り、大和国に移った神様らしい。ニニギの天孫降臨とは別系統で物部氏の祖神とされているらしい。
途中のお地蔵さん、ユーモラスな案山子です。石碑には河野翁が野獣の狼を退治?と書いてあるようだが?通学途中に狼が出るので義務教育が免除されていたとか。

お地蔵さん、
狼退治の石碑

仕掛け案山子

ユーモラスな案山子

水呑王子

番茶の販売

伏拝王子
水呑王子から伏拝王子まで。途中に番茶の無人販売をしてました。ここも徳島と同じく番茶の産地のようです。
道はきれいに草刈りされ、あまり花は見あたりませんが、珍しい「キイジョウロウホトトギス」の花が一輪。キイは紀伊で、和歌山の特有種。少し先にNHK朝ドラ「ほんまもん」ロケ地の看板の立った家。

伏拝王子

キイジョウロホトトギス

朝ドラ「ほんまもん」

三軒茶屋

九鬼口関所跡

祓所王子
三軒茶屋~祓所王子。三軒茶屋は中辺路と高野道との分岐点。復元された九鬼口関所跡に「右かうや十九り半、左きみい寺三十一り半」の石の道標が立ってます。高野道は快適そうな山道です。

そして今回の本命、熊野本宮大社です。
創建は不明(伝崇神天皇代、B.C.33年?)で、1889年の大洪水で熊野川の中洲から流されてしまい現在地に移設されたそう。
社殿は三つ。向かって左の社殿は熊野那智大社、熊野若宮大社の神様を勧進、お祀りしているらしい。真ん中が本宮で、右は若宮だとの事。
祭神がもうひとつ明確には判りません。

熊野本宮大社
取り敢えずは、
○本宮の主神は熊野坐神或いは家津御子神(熊野加武呂乃命)
 奈良時代は牟須美(結)神と呼ばれた。
 熊野固有の神々を記紀神話に結びつけてスサノウとしたのは何時?
○若宮の主神は天照大神とのこと。
○向かって左の二社は、
 西御前:熊野牟須美神(くまのむすみのかみ) イザナミ?
 中御前:速玉之神(みこはやたまのかみ) イザナギ?
まあ、ややこしい。人によって言ってることも違ってるみたい。奈良時代からの神仏習合時代は、本地垂迹として上から
 阿弥陀如来、十一面観音、千手観音、薬師如来
だそう。
 律令のもう一つ前の自然崇拝アニミズムの時代、修験道そして律令と結びついた神仏集合の権現時代。そして廃仏毀釈と国家神道で歴史を滅茶苦茶にした明治以後。こうした時代時代でどう変化したのか明確な資料も見つからないし、語り部さんもはっきりとは判っていない様子です。
ところで、ここでビックリしたのが社殿の屋根の上、千木のデザインです。
これまで千木の端の切り方が、水平か垂直かで女の神様、男の神様の区別をしていると聞いてました。でも、ここ熊野本宮の3つの社殿の千木の断面はマチマチです。調べてみると伊勢神宮もそうらしいですね。
この千木のデザインも明確なルールではなくて曖昧みたい。
まあ、日本の神社を調べだすと、あるところから歴史としても伝説としても曖昧模糊としてきて訳が分からなくなってきます。細かい話ですが、この千木の話もその流れなのかしら。