旅:蒜山高原ー松江ー出雲大社-石見銀山
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行程
  3月29日
   徳島=高速バス=三宮=ツアバス=蒜山高原=松江城=宍道湖=玉造温泉
  3月30日
   玉造温泉=出雲大社=石見銀山=三宮
  4月1日
   三宮=万博公園=梅田=徳島

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

GPSトラック
石見銀山に行ってみようと2月に地元のバスツアに2回申し込みましたが、いずれも不成立。人が集まらないようです。ならば人口の多い関西圏のツアだと申し込みましたが、これも一回目はあえなく敗退。ほんとは、寒~い雪の中を行きたかったのですが、3月末になってやっと大阪/神戸発のツアをゲットできました。
地図は蒜山高原に立ち寄った後の「松江城から石見銀山」の全行程です。一日目は雲の多い天気で、二日目は冷たい雨の中になってしまいました。

立ち寄った蒜山高原センター。2005年の秋に登った蒜山、大山の展望は雲でもうひとつ。

大山

高原センター 大山

蒜山

オオサンショウウオ

松江城

城内の展示模型
松江城天守閣は全国に現存する12天守の一つで山陰では唯一の天守閣だそう。1611年に完成。城主は2回取りつぶされ、3回目が家康の孫の松平直政。
「戦前は国宝。解体修理の後、戦後は重要文化財」修理で格下げされたのかと思ったら違うようです」。国宝保存法が文化財保護法に変わって、昔の国宝は重要文化財と名称を変えたみたい。
城の敷地内の興雲閣です。明治天皇のお宿として建築されたが使われないままに今は松江郷土館になっているようです。館内に「ホーランエンヤ」「鼕行列」という祭の展示がありました。なんだろ?

興雲閣

ホーランエンヤ

鼕行列
ホーランエンヤは「稲山稲荷神社式年神幸祭」。松平直政公が入国して10年目、国内が大凶作の危機にみまわれたときに五穀豊穣を祈ったのが始まり。ホーランエンヤは日本三大船神事の一つとも言われ、五地区から繰り出す櫂伝馬船を先頭に、神楽船・神輿船・供船などの船行列が延々と1kmにわたって穴道湖、大橋川、中海を彩りと紹介されてます。
松江祭鼕行列(どうぎょうれつ)は、1734年松江5代藩主宣維の奥方の輿入れのとき大太鼓をたたいて祝ったのがはじまり、その後正月など町内ごとに鼕をそなえ音を競い合った。直径2メートル近い大太鼓2台を鼕宮にのせ、10町内、2団体の鼕宮12台がねじり鉢巻ハッピ姿で鼕をたたきながら市内をねりあるく。

堀川めぐり

武家屋敷

松の大木
お城の周囲の堀を屋形船で遊覧する堀川めぐりも賑わってました。堀に沿った塩見縄手通りには小泉八雲旧居、武家屋敷などが並んでいます。
茜色に染まる夕陽の宍道湖というツア文句、残念ながら曇りでかつ時間帯も合わずでは。宿は玉造温泉。格安ツアですが、夕食もまずまずかな。

宍道湖

玉造温泉

夕食
朝から雨。護法は宿のラウンジででコーヒー。やる気満々で信行は町の散策です。

○出雲大社
拝殿とご本殿です。H20年に仮殿に遷座、本殿の修理に着手する予定で、本殿に戻るのはH25年だとか。大和側の神様も合祀されているようですが、主神は大和に敗北、国譲りした出雲側の大国主命。現地ガイドさんがスサノオの息子といってたような。あれ、おかしいいな。昔に読んだ神話では、根の国を治めるスサノオの元にやってきたオオナムヂ(大国主)は、スサノオの娘であるスセリビメに一目惚れ、スサノウからの様々な試練を切り抜け、ついには駆け落ちした筈。息子、孫ではなく婿殿だったのでは?

ご本殿

拝殿

本殿 昔の柱跡

因幡の素兎と大国主命
今の本殿は高さ約24m。かつての本殿は現在よりもはるかに高く、中古には48m、上古には約96mと伝えられれているそうです。H12年に巨大な柱(1本約1.4mの柱が3本束ねたもの)が発掘されたそうです。写真の赤い円はその跡。でも、古代社殿の柱ではなくて、宝治2年(1248年)造営の本殿の可能性が高まっているとか。
境内に可愛い因幡の素兎と大国主命の像、まだ新しい像がありました。

○岩見銀山
石見銀山、冷たい雨の中をウォーキング(^_^;)。
銀山公園までツアバスで入り、そこから竜源寺間歩の坑道まで約2km。現地ガイドさんと1時間ほど登ります。帰りは同じ道を引き返し銀山公園の更に下の代官所まで約4kmを50分歩き、シャトルバスで銀山公園までとって返しました。世界遺産になったばかりで、施設も観光対応も追いついていない様子。普通の田舎の里歩きといった素朴な印象で、これからが大変かも。
入れるのは約30分歩く竜源寺間歩だけのよう。精錬跡も特になさそうだし、見るものが少ないかな。

竜源寺間歩出口

竜源寺間歩

横の坑道

下100mへの排水坑
竜源寺間歩へ行く途中の里道にはお寺もあり、戦国時代の山城跡へ登る道、採掘された銀を港へ運ぶ道などもありそうだが、整備はまだのよう。ツアバスを降りた銀山公園の下、代官所跡までは昔の家並みを復元しようとしているようですが、これもまだ未整備だし、スケールも小さそう。
途中のお寺に山の上からおろされた山吹城の山門が建っています。ここの銀山の覇権を毛利氏、小笠原氏、尼子氏が争い勝ったり負けたり。最終的には毛利氏が握ったが、徳川になって幕府の直轄地になったそう。

山吹城の山門

代官所跡への家並み

復元 武家屋敷

代官所跡

銀山公園 羅漢寺
代官所跡に展示があるようでしたが、時間切れでパス。上の銀山公園に戻る時間もぎりぎりでシャトルバスで帰りました。自家用車が入れるのは代官所跡までになるらしいが、このシャトルバスは運行休止になると聞きました。排ガス問題かしら?、電気自動車にするのは予算がたいへんと仰ってました。でも、あまり歩き馴れない方だとこのコースを歩くのはちとしんどいかも。普通の田舎道で回りは観光コースとは言えない感じですしね。
ここの銀が大航海時代にアジア、ヨーロッパに拡がり世界経済に寄与したという事が世界遺産の大きな要因らしいです。建設中の世界遺産センターがオープンすると、その歴史を判りやすくプレゼンしてもらえるのでしょう。

○余談:ハプニング
宍道湖方面へ戻る道が渋滞。遅れ出ても予定していた土産物店にしっかりと停まって買い物サービス?。おかげで三宮到着が予定より45分遅れです。確かに予定表では2時間くらいの幅をとっていたかな。中途半端な遅れで、自宅へ戻る高速バスに5分の遅れです。もちろん最終バスだったので、この日は帰宅するすべも無し。もっと遅れてくれると諦めもつくのに、いかにも残念。

どうも危なそうと、念のためにツアバスの車中で携帯電話のi-modeを使って調べておいた格安セール中のホテルに連絡。急遽、宿泊の羽目に。もちろん高速バス代金はパーです。
翌日、予期せぬ近畿滞在とはいえ、折角です。どこ行こうかとホテルのパソコンでネット検索。MIXIで友人ご夫妻の書き込みを見て万博公園の観光と山用品の調達をする事に決定。

万博公園

万博公園

万博公園

深奥的中国
展示

チワン族 住居
万博公園の訪問目的はこの中国少数民族展でした。
1階にはチワン族の住居展示、2階にはミャオ族、イ族、ペー族、ナシ族などの民族衣装や装身具などが展示。
中国の山、旅で出会った少数民族を思い出しながら観光。もっとも、展示ですから日常とは違った着飾ったハレの雰囲気です。
帰りは梅田に戻って山用品の店IBSへ。首都圏時代、そしていまも横浜の本店を利用しています。
とまあ、思わぬハプニングで高速バス料金を無駄にして、かつ余分のホテル代がいりましたが、まずまず楽しめました。それにしても、橋がかかったとはいえ、やはり海を渡る地域は不便だわ。