徳島 中津峰山
夫婦で山歩きホームページトップへ

行程  11月16日
  徳島市内=いやしの道Parking−金谷橋−金山神社−たたらの滝−ヤカン峠
    8:30    8:50-9:05            9:15      9:45     10:25
  −見返り峠−林道横切り(如意輪寺からの林道)−山頂〜パラグライダ基地周遊〜山頂
    10:40         11:05                 12:10--------------13:55     
  −落合ベンチ−林道横切り−やれやれベンチ−尾根道−集落−立岩神社−無名の神社−駐車場
    14:20    14:30-14:05   15:05            15:40  15:52             16:20    

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

グーグルとGPS
長いようで短かった3ヶ月強の娘の里帰り出産対応も終わりました。神奈川へ連れ合い共々戻り、少しの間は独り生活です。出遅れた紅葉狩りに遠く高知との県境を越えて紅葉の名所「べふ峡」とその奥の白髪山を予定していたが、朝から南方のそちら方面は雲が厚く晴れそうもありません。昨晩、準備しながら疲れ気味なのか3時間を超える車の運転はかったるいなと思っていたので、即座に近場の中津峰に変更。まだ通っていない「いやしの道」コースを歩くことにしました。

標高が約10mの「いやしの道」への入口駐車場から山頂733mまで、標高差700m以上を登り下りするのは久しぶり。山頂までしっかり3時間かかりました。首都圏時代の日帰りコースでも丹沢/中央本線の沿線の山だと、これくらいが普通だったですけど、ここ徳島ではかなり上まで車で行けてしまうので、実際の標高差は少なく、歩いている時間も短い傾向があります。

いやしの道へ

金谷橋レリーフ
真新しい橋の架かった川を渡ります。金谷橋という名前ですが、写真はその橋のレリーフです。たたら踊りと書かれていて、踊りの様子が描かれています。ネット検索ではこの地方の「たたら踊り」の情報は出てこないですが、銅の精錬・鋳造をしていた「たたら」跡というのがあります。
橋を渡ると金山神社。延喜式式内社で金山毘古神が主祭神と書かれてますが、石柱には「山方比古神社」と彫ってあります。出会った地元のお婆さんに尋ねましたが、「昔からそうだ。何故か判らない」との事。
階段を登った祠の付近が「たたら跡」らしいが、じっくりと眺めても素人目には???。異説では、山の神・大山祇命を祀っているから山方比古神社という説もあるとか。まあかなりいい加減かな。少し離れたところに立岩神社、八咫の鏡を製作した天津麻羅を祭った神社があります。帰りに寄りました・・最後にに紹介します。

金山神社 縁起

金山神社と石柱
いやしの道コースの初めのうちは沢沿いでした。沢沿いになるコースの長さも水量も、そして滝の規模も小さいですが、雰囲気は中央本線の滝子山のズミ沢コースに若干似ています。すぐ、沢から離れてしまうのが残念です。
途中で道を補修されているハイカーもおられました。いやしの道コースを造られて、山頂のベンチなどの施設もボランティアで設置されているグループがおられるようです。なかなかユニークな立て札も作られてます。
同じ徳島の大麻山でもそうでしたが、山頂で出会って交流をするという緩やかな集まりを楽しまれているようです。
関東ではこうしたグループはなかったですね。徳島あるいは四国に特有なのかな。

中津峰山頂にある天津神社にお参りして四阿とベンチへ。。平日ですが、蒸気グループの10人以上がおられました。薪沸かした湯でいれたコーヒーを飲みながら談笑されてました。よく来るのなら仲間に入れと誘ってくださいました。
ところで、この神社も縁起が判らないです。「中津峰登山グループ」の方々によると、「星祭りがある、地元で三十八社大権現をお祀りしている」とのこと。山岳修行者の神社だったのも。星祭りって真言でやりますね。大権現だし神仏習合時代の名残なのかも。となると、もとのお寺があるはずですが?。
中津峰の南側からの登山口に星の岩屋(星谷寺)という第19番札所・立江寺の奥の院があります。北側の登山口には、同じく真言宗の如意輪寺があります。どちらかと関係あるのかしら。
星の岩屋の方は、「昔、悪星があって、人々に災禍をなしていたので、弘法大師が法力でこの悪星を地上にひきおろしてこの岩屋に封じ込めた」という伝説があるから、この関係の祭りではなさそう。
山頂からパラグライダーのジャンプ台を経由する周遊コースへ。
見晴らしの良い草原状になっていて好きな場所のひとつです。
ぐるっとまわって天津神社の下に戻ってきます。
ここに前から気になっている下山路「合戦尾根」という標識があります。
北アルプス三大急登といわれる燕岳の合戦尾根を思い出します。こちらは、どういうコースなんでしょう。

ここの登山道にはタラが多いようですね。春にはどうなんでしょう。
中央本線沿線の大沢山からの縦走路にタラの群生地がり、まるで林のようにタラが生えていました。勝手に我が家のタラ畑と言って、シーズンになると行くのを楽しみにしていました。

余談:麓の神社 立岩神社
行きに寄った金山神社にあった案内板に境内に立岩神社があり、八咫の鏡を製作した天津麻羅を祭っていると出ていました。これは寄らないわけにはいかないです。薄暗くて人の気配もなく少し怖い雰囲気の小高くなった森に入っていきました。
だいぶ痛んでいるここの案内板の内容です・・・
 当社は日本一の巨大陽石を御神体とする神社である。陽石は高さ七メートル、巾四メートルの巨岩で、基部正面に左右二個の大玉石を配し、素朴にも男性を象徴しているが通俗的信仰はなく、祭神は天津麻羅といわれている。御神体の正面はたたら跡(金山神社)を向いており、古代金属器の製作に名工鍛冶・天津麻羅がかかわったことを暗示している。古事記によると、八咫の鏡は「・・・天の金山の鉄を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ・・・」とあり、この地で八咫の鏡を製作されたものと推定されている・・・略。

なかなか迫力のある大岩です。斜面に少し斜めに立っています。地面の下の大きな岩に繋がっているのでなければ、地震とか風雨に少し不安定そうです。古事記の時代からあったかなあ?。ほんとのところ、いつ頃からあるんでしょうね。
ここで、50代くらいでしょうか、仕事帰りなのかスーツを着られた知的な風貌の男性に出会いました。お話しを伺うと、転勤で徳島に来られたそうです。「古事記の舞台が阿波であった、天皇家は阿波の出である」といったロマン溢れる話を追いかけておられるようです。忌部の話、”因幡の白兎は実は徳島の蒲生田岬という話”などを聞かせていただきました。ここも三種の神器「八咫の鏡」に関わる神社なので、探しながら来られたようです。