徳島 中津峰
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行程  12月28日
   徳島市内=金谷橋=如意輪寺−中津峰−如意輪寺=犬飼の農村舞台=徳島市内
                10:15   11:30-12:30 12:55            

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します

コース
今年最後の山歩きをと思い、墓参りと年末の掃除の合間を縫って中津峰に行ってきました。標高は773mと低いですが、徳島市の最高峰です。いろんなコース取りができるようですし、滝に森林公園などもあり、地元の方々に愛されている里山です。
今回は、ホームページ繋がりで教えていただいた新しいコースに行く筈でしたが・・・。
徳島市と勝浦町との境い付近に教えていただいた新しいコース「いやしの道」コースの入口になる金谷橋はすぐわかりました。金谷橋の所にある「野菜などを売っている小屋掛け」はクローズ中でしたが、すぐわかりました。

既に数台の車が駐車していましたし、ちょうど身支度して歩き始める方がお二人おられました。我々もさあ準備をと始めたところで、よんどころない事情で、如意輪寺まで行くことになってしまいました・・如意輪寺の駐車場には公衆トイレがあります(^_^;)。
というわけで、教えていただいた「いやしの道」は次に期待で、如意輪寺に参拝して歩き始めました。2005年の2月から徳島の山に行き始め、中津峰は今回で4回目だと思います。

いやしの道 入口

如意輪寺

立木観音

干支毎の守り仏

庫裏
如意輪寺コースが2回、星の岩屋コースが2回です。如意輪寺は蜂須賀の阿波入国後に建立された真言宗のお寺だそうです。ご本尊は鎌倉末期の作(とされている)の如意輪観音座像です。国の重要文化財だそうです。階段の途中、大正時代に生木に彫られた立木観音もあります。なんとキノコがはえてました。
本堂の銅版葺き工事がされていました。
水子供養のお堂の屋根の銅板葺きは終わってキラキラと輝いていました。本堂も年内に終わるとか。
登るときは門松を準備、山頂から戻ってくると完成されていました。そういえb、文化財巡りツアに参加したとき、応挙の「松上孔雀之図」とか狩野正信の絵なども見せていただきました。

本堂

門松 行き

門松 帰り

天津神社

天津神社

祠のクリスマスリース
こちらは山頂の天津神社です。縁起、祭神を調べていますが、いまだ情報無しです。立派な石積みに囲われた中に祠があります。
なんと、祠にはクリスマスの飾りまで(後から来られた方が始末されました(^_^))
山頂からの展望です。東の阿南方面の海側は晴れていて、山頂にも日がさして、まあまあ暖かかかったです。西の剣山側の展望も最初はありましたが、すぐ白いベールを被りました。雪です。風でこちらの山頂まで雪が舞ってきました。

阿南方面

剣山方面

山頂

丸太の枠組み1

丸太の枠組み2

薪の竈
山頂ですが、今年の3月に屋久島縦走のトレーニングに来たときと変化してました。前の手作りベンチからバージョンアップして、丸太を使った小屋がけ?、天幕はれば簡易小屋になりそうです。沢山の薪、薪を燃やす竈もあります。我々二人だけで食事していると、10人くらいの方が来られました。設備を設置され、「いやしの道」も作られた方とそのお仲間だそうです。

番外編 犬飼の農村舞台
 帰る途中に「犬飼の農村舞台」の標識をがあり、そちらの方へ行ってみることにしました。いまでも人形浄瑠璃などが演じられて、時々ローカルニュースに出てきます。
 道路標識に従って左折しました。舗装されていますが、元は農道だったのでしょうか、かなり蛇行した道です。分岐もありますが、一応道なりと思われる方向に車を走らせましたが、その後の標識は全くありません。
 ありゃ間違ったかと引き返す途中で第1町人(村人?)発見。道を尋ねると「間違いではなく、どんどんと進んでいくべし」との事。それにしても、不安になる道です。諦めて、Uターンできそうな広い場所を探すことに(^_^;)。

農村舞台

五王神社
広い場所が目に入り、車を進めるとなんと五王神社と農村舞台の標識がありました。やれやれ、駐車して急坂を登り始めましたが、ここでまた道を間違えてしまいました。標識だとまっすぐ階段で神社、右の脇道を登って農村舞台。ところが、その道は上の畑に出る作業道でした。なんと、神社の境内に舞台はあるじゃないですか。地名も犬飼ではなくて徳島市八多(はた)町なんですね。いやはや、判りにくいです。
こうした農村舞台は、江戸時代から昭和の初期にかけて庶民の娯楽として人気を博した歌舞伎や人形浄瑠璃を上演する場として作られたとか。そして、全国一「農村舞台」が多かったのが徳島県。現在は、ほとんどが使われなくなりその数も減り続けているそうですが、ここの犬飼農村舞台は「国の重要有形民俗文化財」に指定され、現在も毎年、上演が行われているそうです。
五王神社の祭神と由来の書かれた銘板がありました。もとは権現で明治になって神社になったそうですから、廃仏毀釈の影響を受けたようですから、祭神も後付かも??。境内に五個の石の祠がありました。祭神が五柱ですから、対応しているのかな?確認できませんでした。

神社の由来

五つの石の祠

番外編 速水神社とクスの神木
農村舞台から戻る途中に目に入ったのが大きな木です。なんだろうと寄り道しました。速水神社と書かれていました。クスの大木、樹齢は空いて500年だとか。神社の創祀年代は不詳。
現在「はやさめ」と読まれているが、延喜式としては「はやあめ」。
祭神は豐玉比女神。
通称は「雨の宮」で、雨乞いの霊験があるという。