徳島 黒沢湿原
夫婦で山歩きホームページトップへ

行程  8月20日
   徳島市内=井川町=(県道140号線)=腕山・井川スキー場分岐=黒沢湿原
     10:00                                12:30-13:00,13:00-16:00
   =(林道:池田・漆川線)=池田町=加茂の大楠=川島(食事)=徳島市内
   15:00-15:20            

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します
8月の中頃にサギソウの花がピークを迎えて月末頃までが見頃との情報があり、伊吹山に続いて友人ご夫妻と徳島県の西の端、三好市池田町の黒沢湿原を訪問。標高が約550mと低いですが、今回も適度の曇りでまずは快適に歩くことが出来ました。伊吹山では前日までの灼熱地獄を回避でき、かつ台風の影響もまずまず避けられるという際どいタイミングでした。今回も前夜は激しい雨でしたが、当日は適度に曇ってこれまたグッドタイミング。同行4人の中に強運の持ち主がいるのかも。
 徳島に花の湿原があることも知らなかった徳島の山初心者の我ら夫婦です。お誘いしたつもりが、友人ご夫妻に運転をお願いして案内いただいたようなものです。井川町の井川スキー場腕山に入っていく県道?140号線はもちろん初めてでした。だいぶ狭い山道になれてきましたが、ガードレールが無くて反対側には溝があるという道は、まだつらいものが(^_^;)。帰りの林道:池田ー漆川線はまずまず走りやすかったです。


湿原の展望台から

カシミールで俯瞰図
 標高約550m、南北約2km、東西100〜300mで面積40haの四国最大の山頂湿原だそうです。周囲をアカマツ林そして山に囲まれた盆地です。 黒沢湿原という名前は、黒い土と沼沢に由来したものといわれていますが、黒沢を「くろぞう」と読むのは何故なのか。由来があるのか、単になまっただけなのかネット検索では分かりませんでした。三好市の観光課に問合わせましたが、情報はないようでした(お忙しいところ、お騒がせしました)。
アクセス道路はちょっとつらいですが、湿原には広い駐車場、立派な休憩所、トイレ、四阿などが完備、茶店もあります。

駐車場

茶店

四阿

休憩所

三好市のパンフレット
(一部分です)
粘土層の上に火山灰や腐植土が3〜4m堆積してできた湿原で、350年ほど前に開拓され水田として利用されていたとか。深い沼地であったため、いかだを組んだり、田舟を使うなど、大変な苦労を強いられたそうです。平成に入って休耕田となり、アシが茂って失われつつある湿原の保護・保全に取り組まれています。肝心のサギソウも全滅し、他所から持ってきて育成したものだそうです。残っている沼は尾瀬などの地塘の感じではなく、小さな池/沼の印象です。そこに数多くの睡蓮がありました。これも、もとは黒沢湿原の植物ではなくて、だれかによって持ち込まれたものが増えたとか。
三好市のパンフレットによると、細長く入り組んだこの沼沢盆地には、サギソウや古く
からオオミズゴケが生育していて、これが湿原植物群落の発達を促したといわれ、キセルアザミ、食虫植物などの珍しい湿原植物が数多く群生。昭和40年に「黒沢湿原植物群落」として徳島県の天然記念物に指定されたそうです。
湿原の端には「たびの尻滝」という変わった名前の滝がありました。写真の滝までは遊歩道がありますが、更に下にある幾つかの滝へのアクセスはたいへんそう。ところで、「たびの尻滝」というのは、どういう意味なんでしょう?。ネット検索でも三好市の観光課でもわかりませんでした。旅?、足袋?。

たびの尻滝

湿原の木道、遊歩道の両側に見られた花です

エゾミソハギ

ヘクソカズラ

ヒメガマ

白のキキョウ

コオニユリ

花の終わった
ミズチドリ

ミズトンボ

オミナエシ

オトコエシ

サワヒヨドリ
ヒツジグサが咲いていましたが、遠くてコンパクトデジカメでは限界。そして肝心のサギソウと名前が??の花です。

ヒツジグサ

サギソウ

ゲンノショウコ*

トレニア(ナツスミレ)*
*花の名前:四国山の会MLのお仲間に教えていただきました。


サギソウ
サギソウを堪能したところで、帰りは別の道を走行。少し古い地図には出ていません。途中で見かけたちょっと不気味な案山子です。近くにはユリが花をつけていました。

案山子

カノコユリ

テッポウユリ

池田の町と石鎚山系

腕山〜国見山

この帰りに通った林道:池田−漆川線は新しくできた道のようですね。案内板も新しく、池田の町に近づいたところで展望台もありました。眼下の池田の町、遠くには石鎚山系か東赤石の山系が望めるようです。近くは、腕山、中津山、国見山など。

番外編その1:湿田、乾田って?
 黒沢湿原が深い沼を使った水田で筏とか田舟、田ゲタを使ったという記述がありました。恥ずかしいことに、これまで水田に2種類あるというのを知りませんでした。
湿田と乾田
「湿田」(しつでん)とは、一年中水がたまったままの田のことをいう。田によって水の深さは違うが、深い田では胸まで水につかってしまうことも。湿田では収穫量が上がらず、コメの質も悪かった。昔からの赤米しか育たなかった水田もある。 明治時代の初め頃は、湿田の割合が半分以上の県もあった。これに対して、「乾田」(かんでん)とは水の調節が自由にできる田のことをいう。イネの成長にあわせて水を調節できるので、収穫量が上がる。また、肥料の効果もよくでる。
明治時代からさかんになった乾田化。特に第二次大戦後、大規模な乾田化がすすみ、現在では、ほとんどの田が乾田になった。
という事だそうです。ネット検索すると、弥生時代に湿田で使われていた田舟が出土しているようです。ネット検索では乾田化へ向けての運動、働きかけの歴史が沢山出てきます。それにしても、胸近くまで泥濘に埋まっての凄い重労働ですね。
番外編その2:加茂の大クス
そして、帰りの国道沿いにあった「加茂の大クス」です。
JR徳島線阿波加茂駅の北東1km、吉野川南岸の段丘上にある若宮神社の社地跡(社有地)にあって、観光用の駐車場、トイレも用意されていました。
国の特別天然記念物になっていて、樹齢は1000余年、根周り19m・幹周り13m、地上3mあたりから十数本の太い枝を四方に伸ばしている。枝張り東西49m・南北41m、樹高25mだそうです。
 「加茂」という地名は、平安時代、この土地に京都の賀茂神社の荘園があったため付けられたものだそうです。樹齢1000年以上というと道長の頃に植えられたものなんでしょうね。