徳島 太龍寺山(補陀洛山)
夫婦で山歩きホームページトップへ
 徳島も11月末頃から大雪、予定していた剣山の近くの丸笹山の周辺は1m以上の積雪とか。ただでさえ狭いつづら折りのアクセス道路を車で走行する自信がなくて断念しました。とはいえ、せっかくの好天気に我慢できずに雪道走行の心配のない太龍寺山に行ってきました。
 ここ太龍寺山は弘法大師が唐に渡る前の若かりし頃に優婆塞として修行した山として知られています。太龍寺山と室戸岬を修行の場として虚空蔵求聞持法を修し、満願の日に明星が口に飛び込んだという話は有名です(司馬遼太郎の空海の風景では室戸の御蔵洞だったか)。

行程
 12月20日  徳島市内=水井橋−太龍寺 参拝−太龍寺山(補陀洛山)−ロープウェー山頂駅
            8:30  9:30-9:40 11:20-12:10    12:45-13:15       13:50-14:25
          −水井橋=お松大権現=徳島市内
            15:15

コースと概要  以下、クリックで地図、写真拡大します
麓から太龍寺までロープウェーもありますが、山歩きが目的ですから那賀川より登る遍路道を利用。太龍寺は四国八十八ヶ所の21番札所です。ロープウエー山頂駅のすぐ上に本堂、多宝塔などの施設が点在。地形図では多宝塔の上に標高600mの無名ピークがあります。このピークもしくは周辺を弥山というらしい。階段を下り、ロープウェーを横切って空海が修行された舎心ヶ嶽を過ぎると標高618mの最高峰。地形図では太龍寺山。地元?では補陀洛山。須弥山(カイラス山)からきた弥山も観音浄土である補陀洛も仏教から出た名前ですね。地形図には書かれてませんし、いつ頃からの命名なんでしょう。

水井橋から太龍寺への遍路道
 十八女と書いて「さかり」と読む町を過ぎ、水井町に入って那賀川にかかる水井橋の手前の広場に車を置かしてもらいました。
 すぐ近くに変わった形の鳥居を持つ神社がありました。

水井橋 近くの神社

水井橋

橋を渡って遍路道へ

那賀川

遍路道 分岐

遍路道 入口
今年の夏は異常な渇水だった那賀川ですが、ここら辺りは伏流水になっているのでしょうか。今も表に見える水量は少ないです。すぐに遍路道への分岐。ウラジロのジャングル?を過ぎると・・・・・若杉山遺跡の標識が出てきます。
標識はあるものの、調査の後に埋め戻したのでしょうか。どこが遺跡なのか分かりません。日本最古の辰砂の遺跡と書かれていましたが、辺りは杉林だけです。弥生時代から古墳時代にかけての日本最古の辰砂の採取遺跡らしいですのに、奥ゆかしく観光資源にはしていないようです。辰砂の鉱山師一族と空海の関係は、どこまでホントかわかりませんが、よく話に出てきますね
途中で、信行が見つけた冬イチゴです。更に進むと朽ちた神社そして手入れされている畑に出て、これから狩猟に行くらしい銃を持った方に遭遇。何故か、侵入検知の夜間ライトのあるゴミ捨場?、更に奥の行き止まりの一軒家の手前から遍路道は分岐していきます。

イチゴ

何故か夜間の侵入検知

分岐
いかにも遍路道らしく、道の脇には素朴な仏様がまつられています。丁目表示の石仏も。
太龍寺
 仁王門を通り抜けて更に遍路道を上ると六角経堂、護摩堂、龍天井のある大きな本坊に出ます。鐘楼門のある石段をあがって直進すると本堂です。その奥には求聞持堂があり、本堂の手前の石段を更にあがると多宝塔。本堂へ直進せず右にとると、大師堂から御廟へと寺の施設が拡がっています。

仁王門

一切経を納めた六角経堂

何故か
と書かれた護摩堂

本坊の廊下

龍の描かれた天井

鐘楼門

本堂

本堂に何故か瓢箪

多宝塔

大師堂

南舎心ヶ嶽から太龍寺山山頂へ
本堂から石段をおりてロープウェーの山頂駅へ。ここでお接待のキノコ茶を頂く。本堂一帯の寒さが嘘のように日当たりの良い暖かい場所でほっとする。ここで舎心ヶ嶽の方へと進むとロープウエーの下を横切ってミニ八十八ヶ所に出ます。

ロープウェーの下を通過

ここまで弘法大師がお迎えにと書かれてます

ミニ八十八ヶ所

ミニ八十八ヶ所

(南)舎心ヶ嶽

山頂駅、阿南
八十八ヶ所のお寺の本尊を彫った石像が並んでいます。流石に88枚を撮すのはたいへん、適当にピックアップしたものを一枚にまとめました。そして舎心ヶ嶽で東の空を向いて座っている弘法大師像です。ここからロープウェー山頂駅と阿南の町、海が展望できます。
何故か補陀洛社と書かれた祠と神武天皇を祀った祠が並んでいました。
太龍寺山の山頂にも、以前は祠か小屋が設置されていたような跡があります。いまは、なにもなく展望ももうひとつです。

補陀洛社

神武天皇

太龍寺山 山頂

帰りは山頂駅で、またまたキノコ茶の尾接待をいただき、暫くロープウェーを管理されている方にお話しを伺いました。今も、舎心ヶ嶽の上に実際に座って修行される方々がいるそうです。大きく拡がる海、なにか気持ちが引き締まるという事です。求聞持堂に籠もられて、舎心ヶ嶽とを往復して虚空蔵求聞持法を修行されるとか。昔は100日だったが、いまは50日だそうです。

番外編 お松大権現
 太龍寺山を下山して徳島市内に帰る途中に「お松大権現」という神社に寄ってきました。日本三大怪猫伝として有馬・鍋島と共にこの阿波の「お松大権現」も有名だとか。以下は、天和〜貞享年間(1682〜1686)今より約300年前の伝承の概要です。
 阿波の那賀郡加茂村は不作続きで、庄屋惣兵衛さんは村を救うため、私有の田地五反を担保に、近在の富豪野上三左衛門よりお金を借り受ける。その後、惣兵衛さんは通りがかりの三左衛門にお金を返したが、通りがかりであったが故、証文を受け取らないままに病死。惣兵衛さんの死後、その妻お松さんは幾度となく証文を請求するが、三左衛門にお金は受け取っていないと偽られ担保の五反地までも横領される。奉行所に申し出るが、取調べのその都度お松さんの佳麗な容姿に心を寄せ、食指を動かそうとする奉行越前。お松さんはこれに応じなかった為、また三左衛門からの袖の下を受け取っていた奉行は非理非道な裁きを下してしまった。お松さんは死を決して蜂須賀の殿様に直訴した。御法度の直訴のため、処刑に殉じるお松さんは日頃寵愛の猫、三毛に遺恨を伝え共に処刑される。その後、三左衛門そして奉行の家々に怪猫が現れ怪事異変が続き、両家は断絶したとの事。その「お松大権現」を祀る神社です。
ここ阿南市の他に徳島市に、もうひとつ「ネコがみさん」といわれる神社があります。天照大神の第三王子を祀る王子神社です。お松大権現は、神社庁に属さず、この地域だけの神社で、お松さんの生家があった場所に建立されたものだそうです。一方の王子神社は、怪猫に取りつかれた奉行の家があった近くだとかで、合祀の形で鎮魂のために祀られたようです。こちらは、「お松大明神」と「お玉大明神」です。
 「ネコがみさん」として有名で、受験とかスポーツの試合などでお参りが多いとか。 神社にはいると猫、猫・・・猫の大迫力。猫神さんとして入試・勝負事などで、いまも大人気らしいです。写真は奉納された猫軍団の一部です。
お参りしていると、捨て猫らしい軍団も擦り寄ってきます(^_^;)。ノラとは思えないきれいなネコです。 わんちゃんのような猫像から可愛い招き猫など石像もたくさんあります。鎮魂のためにお祀りした神社は、京の都に祟った菅原道真公を鎮魂するための天神さんが有名。どうも、鎮魂のための神様は受験の神様になる傾向ってあるのかな?。

ノラ君

犬のような猫像

可愛いネコ像