香川 飯野山(讃岐富士)、金刀比羅宮
2005年3月13日 夫婦で山歩きホームページトップへ
 徳島に転居して2回目の山歩きは、スポーツクラブの山の会が計画した低山歩きに参加。当初は祖谷山系の矢筈山の予定でしたが、今年は雪が多いため香川の讃岐富士に変更されました。下山後に讃井ウドンを食べて、金刀比羅宮にもお参りという観光コースです。

行程
    スポーツクラブ=高松自動車道=坂出IC=飯野山 登山口−飯野山山頂−登山口
        7:50                9:45       10:15   11:05-11:32  12:10
    =四国八十九番所 四国館(讃岐うどん)=琴平町−本宮−奥宮−琴平町=みかど温泉
    =徳島自動車道=スポーツクラブ

コースと概要     クリックで地図が拡大します

飯野山
標高は約420mと低いですが、讃岐富士と呼ばれているとおりに見事な円錐形をした山でした。先週に訪問した鳴門市の大麻山と同じく、地元の方の散歩・トレーニングの場所らしく、立派な登山道から踏み跡レベルまで沢山のコースがありました。そうした雰囲気は埼玉県の宝登山(ほどさん)とか湘南の高麗山(こまやま)と似ていますね。
香川には面白い形をした独立峰が多いようです。見晴らしは抜群で、瀬戸内海のきれいな風景を楽します。

金刀比羅宮
飯野山を下山後は讃岐うどん屋さんで昼食。釜揚げウドンというんでしょうか、素朴だけどなかなか美味しいウドンを食べた次は金刀比羅宮へ参拝です。生まれは四国ですが、こんぴら詣では今回が初めてです。なんと石段が写真の本宮まで785段、本宮から奥宮まで585段の合計1368段だとか。標高差は約360mですが、歩きやすい石段です。奥宮には標高421mと書いてありました。こちらも瀬戸内海方面の展望は抜群、先ほど登った飯野山のきれいな円錐も見られます。

飯野山(讃岐富士)クリックで画像拡大

登り口

途中から瀬戸大橋展望

山頂の記念碑

山頂の薬師堂

山頂の石碑

おじょもの足跡

おじょもの桜
山頂の直下にある「おじょもの足跡」と山頂の「おじょもの桜」です。この「おじょも」というのは、山を造るのが得意な巨人だそう。日本本中あっちこっちと歩き、讃岐にもやってきて、いろんな山を造ったそうです。そのひとつが飯野山だとか。気に入った作品の飯野山の周りを眺めながら小便したときの右足の跡らしいです。金比羅宮には左足の跡が残っているそう。
下山後は讃岐ウドンです。首都圏だとそれなりの値段しますが、釜揚げウドンって本来は庶民派の食い物だったんですね。

山頂から瀬戸内海と島

讃岐富士を見上げる

讃岐ウドン屋

釜揚げウドン

金比羅宮 クリックで画像拡大
 四国出身でありながら、こんぴら詣では今回が初めてです。実は、「こんぴらさん」という愛称から、正式名も金比羅宮だと思いこんでいました、正式には金刀比羅宮なんですね。

神社下の門前町

門前町で木彫り

本宮への石段

本宮
流石に伝統ある神社、門前町にも風格があります。大勢の参拝者がいましたが、何故か本宮横の廊下付近は静寂でした。
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更に奥宮がある事を知らず、本宮でうろうろしていたら仲間がいません。たまたまいた引率者に聞いたら皆さん奥宮へ行ったとか。時間制限あるし、走って追っかけました。

途中の神社

奥宮の岩壁の天狗さん

讃岐富士の展望

その右側の展望
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こんぴら狗

お百度石と亀
立て札には「こんぴら狗」と書かれています。江戸時代に飼い主に成り代わって「こんぴら詣で」をしてもらったそうです。関東を中心に行なわれていたとの事。初穂料と道中の食事代を首から下げて旅人に託された代参犬がお役目を果たす。犬も凄いですが、その犬を託された旅人、途中通過する町々の人達。現代じゃ想像もつかない素晴らしい事ですね。もうひとつは、何故かお百度石を背負った亀さんの像です。意味不明です。

番外  金刀比羅宮の縁起は??
 「こんぴらさん」という愛称から、これまで金比羅神社(宮)が正式名だと思いこんでいました。実際には金刀比羅宮なんですね。その金刀比羅宮に祀られいている神様、そして神社の歴史はと調べてみましたが、あまり簡単には回答が得られないようです。
 いずれにしても、勘違いしていた金比羅という名前からするとインドでの仏教の守護神(が祀られているのではと思っていました。実際に行ってみますと、祭神は大物主神と崇徳天皇(上皇?)と書かれていました。他にも神社が幾つかあって天神さんもありました。金刀比羅宮の公式ホームページを見ても、どこでどのように変化していったのかよくわかりません。

 明治時代の神仏分離の前は、松尾寺という真言宗のお寺であった。守護神は金毘羅様で、お釈迦様が修行したというヒフラ山の別称である象頭山(ぞうずさん)から、神仏習合によって金毘羅自体に神名が与えられ象頭山金比羅大権現となった・・・・何故か、神社の公式ホームページには出てこないです??。その後、明治の神仏分離令に寺の打ち壊し(廃仏毀釈)を免れるため、寺を廃絶させ祭神を大物主神と崇徳天皇に変更したとの読み物もあります。
 一方、公式ホームページには、「初めは大物主神を祀り、往古は琴平神社と称した。その後、本地垂迹説の影響で金毘羅大権現と改称し、1165年に崇徳天皇を合祀する。明治元年に神仏混淆が廃止されて元の神社にかえり、金刀比羅宮と改称。」と書かれています。

 なんだか、よくわからないですね。