世界遺産アンコール遺跡を歩く
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C3/2 アンコールワットの夜明け、トンレサップ湖、アンコールワット、プノンバケンの夕陽
 帰国前日、観光の最終日です。 忙しくあちらこちらを観光。
1.夜明けのアンコールワット、
2.トンレサップ湖のクルーズ、
3.アンコールワットの遺跡と壁画の観光、
4.アンコールワット近くの標高が100mに満たない丘プノンバケンの夕陽観賞、
5.夜はアブサラダンスのショーを見ながらバイキングディナー
    と盛り沢山です。
 夜明けのアンコールワット。日の出の太陽と遺跡のシルエットが湖面に映る構図、これはあまりにも有名。世界中から集まった観光客でいっぱいです。
 トンレサップ湖、琵琶湖の10倍もあります。もちろん、ワニから大きな蛇もいるようです。湖畔の道路には高床式のバラックの家、売店。湖面には筏あるいは船に乗った住宅、学校、病院が多数(グーグルアースでも点在するこれらの家々が見えます)。
 夕陽を眺めた丘にも石造りの遺跡があり。石段は怖〜い急斜面。あまつさえ、足を下ろす余地の極めて少ない石段です。もうロッククライミングの雰囲気。
 そして夜はアブサラダンスを見ながらのバイキングディナー。内乱後の復活がまだ不完全みたい、練習をこれから積み上げていくのだろうという印象です。
D3月3日  帰国

○アンコールワットの夜明け
3月2日、夜明け前に起床してアンコールワットへ移動です。アンコールワット遺跡からの日の出の情景は有名らしいです(知らなかった)。日の出を待ち構える大勢の人、人、人です。大勢の人は世界中から集まってきています
いよいよ太陽が遺跡から顔を出してきました。 そして、この水面に映る遺跡と太陽という構図が最もポピュラーな情景らしいです。

○トンレサップ湖
夜明けの観賞の後はいったんホテルに引き上げて朝食。そして南にある琵琶湖の10倍もの大きなトレンサップ湖へと移動。
湖の手前の道路の両側には高床式のバッラク造りの民家、売店が並んでいます。少子化はどこの話というほど子供が大勢います。その大部分は裸足で素っ裸。衛生環境も悪いし死亡率も高いでしょう。
一方で、小屋の上には簡単なテレビアンテナがある家?もあります。バッテリーでの電化のようです。バッテリー充電を商っている小屋もありました。
いまは乾期ですが、雨期になると何mも水位が上昇して、家は撤去だそうです。

これは我々が乗った船です。船の構造は基本的に同じ。ボートのような船の後ろに長い棒を突きだし、その途中に梶、更に先にスクリューがついています。エンジン自体は船の中、かなり強力でスピードが出ます。この船でラッシュ状態の水路を走って湖へと出て行きます。あちらこちらに多数の船の家が浮かんでいます。
湖への水路、船のひしめく狭い水路を湖の方へと進み途中、投網で魚を採っている人、薪?を集めている小舟など様々。湖面に出ると、筏の上あるいは船が家になっているようです。
公共施設の船もあります。学校とか病院なども船で自由に動くようです。日本を含む外国からの援助で造られてるそうです。
こちらは個人の家でしょうか。火事になりかけている船の家。ガソリンの使い方をミスして火の手があがっています。子供ですが、必死になって消していました。火事は多いそうですが、このときは消えたようです。
観光用のレストハウスも船、水に浮かんでいます。レストハウスにあがって観光。湖には鰐も大きな蛇もいるそうです。
船の生け簀に鰐が入っていますが、小さめのものを観光用に持ち出し、また大きな蛇を女の子が首に巻いて見せに来ます。有料で写真を撮らせようというもの。 まわりから小舟に乗った売り子が押し寄せてきます。だいたいは果物、民芸的な土産物も売っているようです。走行中の船にも横付けしてきて乗り込んでも来ます。スピードもあるし、小舟も沢山集まりますから、危なっかしくてハラハラします。
小さな子供ふたりとお母さん。操船しているお母さんの胸には、なんと乳飲み子が掻きついています。タライ船を器用にあやつる男の子も。なにかを売っているのではなくて物乞いかも判りません。船どうしがぶつかり合う危ない中を器用に操船?しています。

○アンコールワットと壁画観光
トレンサップ湖の観光を終えて、昼食後にホテルへ戻ってシャワー休憩。私はまたまたプールでスイミング。
そして昼過ぎにアンコールワットへ移動。遺跡の観光と近くのプノンバケンの丘での夕陽観賞です。日の出の観賞に通った橋を再び渡り、アンコールワットに入ります。
夜明け観賞では暗くて見えなかったですが、なかなかの立派な橋でインパクトがあります。
ここの壁画、浮き彫りは有名ですが、観光客が多いのと光の加減で良い写真が撮れませんでした。
バイヨンの一般民衆を含む日常生活も描いた彫刻に対して、ヒンズーの神話とか、天国と地獄、死後の裁きなどが描かれているそうです。
江戸時代の初め頃にかけて訪れた日本人の落書きが残っています。一人は家光の命でインドの祇園精舎を調べにきて、ここを間違えて訪問したとか。有名どころは肥後の森本右近太夫、父の菩提を弔うために「祇園精舎」と間違って来たそうな。アンコール・ワットの見取り図も書いたが、石造りの寺院を木造寺院のように描いてあると現地ガイドさんあが言ってました。ポルポト時代に塗りつぶされ、時代も経て何を書いてあるのか読めなかったです。

○プノンバケンの夕陽

丘への登り口

象に乗って登る

丘の上
アンコールワットの観光を終えて、すぐ近くのプノンバケンの丘に移動。丘から夕陽を眺めるのが定番だとか。標高100mに満たない丘ですが、周囲に高いものがなく見晴らしは抜群。
丘の下から石段の下までは象に乗って移動もできます。象専用の登山道?もあります(^_^)。
この丘にも石で造られた遺跡があります。もの凄く急な石段を怖々と上り下りします。
特に下りは怖いです。

丘の上の遺跡

怖い石段

丘から下りる象

○観光の最後はアブサラダンスのディナーショー
夜はアブサラダンスを見ながらのバイキングディナー。手先、足の指先で独特のポーズをする踊り。内乱からの復活がたいへんだったようです。

D3月3日  帰国
明けて3月3日、帰国の日は朝の5時にホテルを出発。出国時のセキュリティーチェックで私だけ隔離された場所に引きずり込まれるハプニングはありましたが、帰りは気流のお陰で行きより順調。予定より早く16時前に徳島空港に到着。
セキュリティーチェックではザックの奥にしまった「日本の携帯電話+鍵をつけた小銭入れ」が気になったようです。麻薬か密輸と間違えたかな。

シェムリアップ空港

シェムリアップ空港
5日間と短い旅でしたが遺跡の規模に圧倒され、更には長く続いた戦乱と内乱による日常生活の破壊の凄まじさと、それでも逞しく生きていく人達の姿に衝撃と驚きでいっぱい。馴染みのないここの上座部仏教についてもおいおい調べてみたいものです。