覚者への道・・かな(^_^)
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四国へんろ66番札所
雲辺寺山

涅槃の王
七巻目
2012年1月9日、雲辺寺山に登りながら、シッダールタが覚者となる瞬間を記述した夢枕獏の「涅槃の王(最終巻)」に影響されたか、宇宙を貫く法則(本では真理といってたかな)をあれこれと夢想。
シッダールタの思想(宗教ではなく、哲学もしくは科学の領域と感じています)を感性、知覚で捉えることはとても無理・・・当たり前ですね、できたら覚者すなわち仏陀ですもの(^_^;)。
でも、低レベルな草臥れた脳細胞ではありますが理性というか理屈でなんとなく近づいたかなと・・・思ったが、間に1~2日挟んだだけでなんだか霧のように消えかけています。やはり幻覚だったか、言葉にしようとするとドンドン遠ざかり消えさていきます。 しかし、折角の夢・幻(^_^;)だったので、思い出せる範囲で書き留めておきましょう。

本題に入る前に、
 ・脳卒中で倒れた脳科学者ジル・ボルト・テイラー
   の闘病中の記録が書かれた「奇跡の脳」
 ・哲学者マーク・ローランズがオオカミとの交流が
  書かれた「哲学者とオオカミ」
両者の本にも出てくる「now & here、いまここに」という感性についてです。

奇跡の脳

哲学者とオオカミ
 ジル博士は脳卒中で左脳の働きを失い、右脳が解放されたときの時間の束縛からの解放そして宇宙との一体感を話されています。
 また、マーク博士はオオカミのように瞬間瞬間をしっかりと生きていけない人間。人は瞬間を朧気にしか感じ取れず、過去(反省、後悔、思い出?)と未来(希望、成功への欲望、失敗への不安?)という時間の流れ、時間の矢の中でしか命を実感・認識できずに翻弄される。そうして、過ぎ去った過去に囚われ、またまだ起きてもいない未来に振り回される愚かさを書かれています。
 実は、素直にお釈迦さんの頃の仏教に戻ると、霊とか祟りなどは否定というか無視されてます。もちろん地獄も極楽もなし。実は執着(名誉欲、金銭欲、自己顕示欲、生存欲・・・)が作り出す苦しみ、対応のしようがない「過去への後悔そして未来への不安」が作り出す苦しみを地獄といってるように感じます。
 本来のお釈迦さんの仏教は--信仰ではなく、今の生き方への指針を示しており、その核心は以下のふたつかなと。
     ”すべての結果には原因がある(cause & effect カルマ因果)”と
     ”すべては永続しない(impermanent)”の認識が重要。

 さて、それでは山歩き中にふと脳裏に浮かんできた「覚者に到る真理」もどきに話は移ります。
 最近の宇宙論では、「我々の宇宙は超ひも理論での10次元もしくは11次元の多次元宇宙である」とか、「無数の並行宇宇宙の存在をいう多元宇宙論」とか話が難しすぎてついていけません。 本当に理解したと思うには、数式と理論だけではなく、その理論による具体的な像を頭の中に描ける必要があります。流石に超ひも理論になると、頭の中になんの像も浮かんできません(^_^;)。
ですので、もう少しレベルを落としてアインシュタインの頃に戻り、我々の宇宙は四次元の時空間(時間軸+空間)というイメージしやすい素朴な宇宙論に戻りましょう。

ミンコフスキー空間

時空連続体
そうなんです。4次元の時空間の中では、我々人も動物も植物も山も川も、そして全ての物、そう宇宙すらも、まるで蛙の卵のような連続体です。そしてその断面・断面が個々の時刻における状態となっています。この連続体はどこまでもどこまでも過去に繋がっていきます。おそら今の宇宙が無から生まれインフレーションで拡大しビッグバンで粒子が生成する頃まで遡る。

カエルのタマゴ
そして、我々が認識できる今の断面が現在です。その先の未来にも連続体は繋がっていってるとは思うが、分かりません。おそらく、量子力学の観測問題のようにある確率で存在がもやーっと拡がっていて、時間の動きと共に存在状態が収束するのではないかと想像しています。物(質量)+エネルギーが不変だとすると、この連続体は宇宙の終焉まで繋がっていくのではないでしょうか。
 そして、その連続体ですからもちろん4次元では上のヒキガエルのタマゴのように繋がっているわけですが、断面・断面の間は情報流通という意味では無限大の障壁が立ちはだかっています。なんとならば、その方向への動きは光速限界によって縛られています。光と謂えども流れることができません。これが、我々が1秒前の自分とも隔絶してしまう究極の健忘症たる所以。光速限界による隔絶、 これはふたつ上のミンコフスキー空間でも描かれていて三角錐の外へと出ることはあり得ません。
ここから突然に結論へと進みます(^_^)。
 この連続体を貫く法則があるのではないか、それがシッダルータが探し求めた真理ではないかと思い到ったわけです。その法則こそが因果律、因果の法則ではないかと。
 シッダルータが真理は、悩みをあるいは苦しみを解決するものではないと言ったのは、たとえ法則・真理を悟っても因果律を超える事は不可能であるから。そしてその法則は・・・「ただ、それはそこにあるがままであり、全てを受け止め、従って全ては肯だ」と、ここまでを感性・感覚で把握できれば、将に覚者への領分に入っていくのでは?。
 おそらく、大昔は仏教が最先端の哲学であり、また科学だったんでしょうね。宇宙の法則を表現するのに仏を使い、それが曼荼羅になったのかなと思っています。たぶん仏教でいう大日如来はこの宇宙の法則そのものなんでしょう。その概念を絵にしたのが金剛界曼荼羅なんでしょう、そしてそれを認識し「すべて肯」とする精神をあらわすのが胎蔵界曼荼羅なんでしょうか。仏教の素養がないのでいい加減な想像ですが。
 いずれにしても、時空連続体とそこを貫く因果の法則は理屈としてなんとなく分かりますが、流石に低レベルな自分には感覚レベルでどーんと呑み込めるところまでいきません、従ってもちろん[全て肯」というレベルにはとてもとても到達できそうもありません。

 話は更に夢想レベルへとなります。たぶん、多次元宇宙とか多元宇宙の理論が進むと、光速とかプランク定数とかいった普遍の物理定数が何故その値なのか、別の値はあり得るのか等も多少は分かるようになるかも。物理定数が異なれば因果律も変化するでしょうね。
追記:書き落としていました。

===余談===

インフレーションモデル
宇宙物理の最新の理論インフレーションモデルでは、今の宇宙の始まりは無からのゆらぎ(トンネル効果)で生まれ、その後のインフレーションで拡大し膨大なエネルギーが爆発?したのがビッグバン。そこで各素粒子が生成されて、ついで原子核ができ、今の宇宙の姿になったといわれています。
インフレーション理論の図も追加添付しておきます。